2026/04/29

POST#1834 眠っているときにかかってきた電話は、あまり覚えていないもんだ

ホイアン、ヴェトナム
長年店舗工事をしていると、夜働くことが圧倒的に多い。大昔のゲゲゲの鬼太郎の歌🔗のように朝は寝床でぐーぐーぐー、で、夜は現場で漢だらけの運動会だ。楽しいな、楽しいな、こんなことしてたらそのうち死んじまうよ(笑)

ちなみに今時この歌をAdoが歌っているんだ。リンクを張り付けておいたから興味のある向きはどうぞ(笑)

しかし、眠っているときだって世の中の皆様はご遠慮なくご連絡をくださるんだ。

俺は長年の修行で、眠っていても完璧に受け答えができる。少なくともできてるつもりだ。ワンオペコンビニみたいだな。先週の木曜日ごろのことだ。町会長から電話がかかってきた。

先日の文書に関して、役員の皆さんから集まった意見をもとに、土曜日だか日曜日だかの朝に町内の主要メンバーで話し合いをしたいということだ。場所は近所の喫茶店だ。まったくご苦労な話だが、しっかり俺も頭数に入ってるんだよな。

その日も間違いなく夜勤明けだが仕方ない。俺はわかりました、参加しますと電話を切ってまた眠った。

数時間眠って間が覚めた時、内容は覚えていたが、肝心の日時が土曜日だったか日曜日だったか思い出せない。時間も9:00だったか10:00だったか、まったく覚えていない。

仕方ない、俺は町内会長に連絡をしてもう一度日時を確認した。日曜日の朝の9時だ。

土曜日の夜の仕事で、現場では問題が噴出していた。ええ加減な図面でデザイン重視で安く・早く・凝ったものを作ろうとしているから、問題が出るのはいつものことだ。

俺は明け方三時ごろに帰ってきて飯を食い、ふろに入り、そのあとで三角関数とか使って計算し、どうやって設計者の意図を実際の現場に落とし込むのか、脳汁を絞ったぜ。なんで俺がこんなことまでしなきゃいけないんだ?これは設計の仕事だろう?とはいえ、治めないことには面白くない。一騎当千の現場監督の名が廃るぜ。しかし、午前七時俺の電池残量は底をついた。少し仮眠しようと八時にアラームをセットしすやすや眠っている息子の隣で眠りに落ちた。

午前九時、電話が鳴ってたたき起こされた。町内会の重鎮A井さんからだった。俺は寝過ごしたことを悟り、飛び起きて着替え、顔も洗わずに車で急行した。頭も寝起きのもじゃもじゃだけれど、くせ毛でいつももじゃもじゃだから、セットなんかする必要はないんだ。時短だぜ。

喫茶店の奥の大テーブルには、町会長や重鎮のA井さん、民生委員のT島さん、その娘さんのYさん、その他ゴミに悩まされてる班長さんなどがいた。まだコーヒーは出てきてないようだ。副会長や会計さんは来ていない。そんなもんだ。

で、町会長が挨拶をすると、重鎮のA井さんが話し出した。大まかに言えば、やはり町内会費を差別化して、役員になれないご老人や心身の不自由な方から一般より高い金額を取るのも、やりたくない人からさらに、役員をやらない代わりに割高な町内会費を取るのも白紙にしたという。そりゃそうだ。弱い立場の人から例え月50円とは言え、割高な会費を取ったりするのは道義に反する。やはりそういう声が多かったそうだ。また、役員をやらなくていいから割高な会費を徴収するっていうんなら、みんな金だけ払って後は知らん顔になるに決まっている。

地域の民主主義の原則としては、負担を平等に分かち合うべきだし、不平等というのは最も弱い立場の人を救済するためにこそ許されると公正としての正義という概念を追求した大著『正義論🔗』の中でもジョン・ロールズ🔗も言っている。ロールズが言ったからどうだという話ではないけれど、老人や社会的な弱者に、より大きな負担を求めるのは公平ではない。

そして、町内会に未加入の人がゴミボックスを使用することで、町内会費の2倍近い使用料を徴収するのも取りやめにしたという。結構なことだ。町内会長は実際に朝の四時から3時間くらいゴミ捨てを監視していたという。ご苦労極まるが、労多くして得るものなしだ。むしろ、そんなことをしても地域の分断を招くだけだ。町会長は裁判になっても勝つことはできるだろうが、そんなことになっては大変なので、取りやめたという。裁判費用を町内会費から出したりしたらそれこそバカバカしい限りだ。

それに何より、町内会に入っていない人がゴミボックスにごみを入れずに放置し、それでカラスが宴会を開いてたら、何の意味もないぜ。どうせ、生ごみや使い古したコンドームをかたずけるのは町内会の班長さんとかなんだ。それこそ本末転倒だ。

まぁ、班長さんたちの話によると、ゴミボックスの設置を機に町内会に再入会した人もいるという。それはそれでいいことだ。何も問題がないときには、町内会なんてなくてもいいとみんな思う。しかし、何か問題が起こったとき、地域の共同体で支えあうことができないと困ると、みんな初めて気が付くんだ。

結局町内会でもそれぞれのエリアで個別の事情がある。だから、基本的には町内会に入っていない人を排除するようなことはせず、それぞれの考えに応じて臨機応変に対応していこうということになった。そもそも、ごみの収集自体は市の公共事業だしね。

そもそもこんなことはだいたいでいいんだよ。厳格なルールを作ると、今度は人間がルールに奉仕するようになる。世の中そんなもんだ。そんなのバカバカしくないか?

まぁ、何はともあれよかった。丸く収まった。俺の思った通りだ。町会長の話では、俺が持って行った裁判の判例資料が今回の決断を後押ししてくれたようだ。無理を通せば道理が引っ込むからな。誰かを分断し排除するんではなく、包摂していく。それこそが豊かな地域社会を作り、大きなシステムの体制翼賛的な収奪から一人一人の市民を守ることになるんだと俺は考えてるんだ。

その会合を終えて、俺は家に帰ると、前の日に配った市の広報のあまりを、俺の家の裏に住んでるUさんの家に持って行った。この人は今の町内会長と意見の食い違いで町内会を脱退した人だ。けれど、大切な隣人であることには変わらない。人間と人間の間に、見えない線を引いてはいけない。レゲエの神様ボブ・マーリー🔗の歌っていた『I & I communication』だ。大切なことはロックから教わった俺さ。

ちょうどU田さん本人が、どこからか自転車で帰ってきた。俺とU 田さんは、彼の家の前で募る話で盛り上がった。息子さんが往年のスポーツカートヨタMR2🔗に彼女を乗せて出かけていく、娘さんがグラスに入れたお茶を持ってきてくれる。並びに住んでる民生委員のT島さんもやって来て話の輪に入る。U田さんの隣の家の4歳くらいの息子さんが、はっとりさんだぁ!と言って百回くらいハイタッチをしてくる。すっかり老け込んでしまった息子の同級生のお祖母さんも現れてきて、T島さんと嬉しそうに話している。何があるというわけでもないけれど、みんな楽しそうだ。俺はそんな近所の人達の姿を見ることができて深い満足を覚える。

ストリートから、地域社会を繕っていこう。家に引きこもってネットばかり見ていたって、みんな孤立した最小単位に分断され、巨大な体制翼賛的なシステムや分断をあおるデマゴーグにからめとられてしまう。誰かをのけ者にしたり、弱い立場の人を叩いたり、自分たちとは異質だと決めつけて排除したりしようとしていてはいけない。

通りに出て、にこやかにあいさつし、相手の目を見て対等な人間として話し合おう。まずはそこからだ。君もどうだい?

2026/04/28

POST#1833 物事はたいてい悪いほうにエスカレートするのさ

somewhere
先ほど入ってきたニュースだと、日銀は金利引き上げを見送った。相も変わらず0.75%だ。

1万円を持っていても一年間の利息は75円だ。物価上昇を加味すると、円の価値は年間2から3%目減りしていく。インフレなんだ。なのにコストプッシュ型のインフレで真のデフレ脱却ではないとか言ってるんだ。どこの国の話だろうか?

75円でいったい今何が買える?蒲焼さん太郎とか、タラタラしてんじゃねーとかうまい棒くらいしか買えんわい!ガリガリ君だって無理だ。振込手数料にもならんわい。これに対して物価上昇はうなぎ登りの鯉の滝登りだ。略してうなぎの滝登りだ。

円は持っているだけで価値が減衰していく。円安は止まらない。黒田前総裁のイケイケもどうかと思っていたが、石橋を叩いて叩いて結局渡らない植田総裁のチキンぶりには絶望的な気持ちになる。利上げによる責任を取るよりも、なんだかんだと理由をつけて現状維持に逃げる。結局学者出身の植田総裁では、現状を打破する責任は負いきれないんだろう。インテリなんてそんなもんだ。円安は続く。混迷する世界情勢の中で、円安がつづくのはこの国の衰退を促進するだけじゃないか。物資も調達できない。円にゲインが見込めないということは、日本という国に将来性がないということを意味するんだ。

物事はたいてい悪いほうにエスカレートする。それはマクロ経済だけでなく、町内の些細なことも同じだ。

しばらくした日曜日、ほかの役員のかたからLINEが来た。町会長がくばっている文書を見たかというものだ。写真付きで送ってもらったんで、自分もポストに走って見に行ったら、入っていたわ。ここでも物事はさらにおかしな方に転がっていた。どうやら町内会の役職者に配っているようだ。

そのタイトルには『ゴミボックスに関する問題点と町費の変更案について』とある。

そして思わず頭をひねりたくなるような文章が紙面に踊っていたぜ。

『町内会としてゴミボックスの購入を考えていますが、問題点もいろいろ出ています。

今までに町内会の役員ができないとの事で脱会された方も多く、脱会された方もゴミボックスを使用したいとの要望もあります。

今後、数万円のゴミボックスを数か所に設置を計画しています。今までにも防犯灯やその電気代などを町費より賄っていることを考慮し、案として役員ができる方、役員ができない方、そして町内会に未入会でもゴミボックスの使用を希望される方と町会費を下記のように分類したいと考えています。

*町内会に仲介されている方

①役員ができる方                 年間3600円(300円×12か月)

②役員ができない方で、高齢者・体の不自由な方   年間4200円(350円×12か月)

③役員ができない方で、健康で特段問題の無い方   年間6000円(500円×12か月)

*町内会に入会されていない方

 ゴミボックス仕様希望の方            年間7000円

役職名、お名前を記入して、変更案に賛成のかたは『賛成』欄に〇を記入、ほかに意見のある方は『他の意見』欄に記載し、4月中に町会まで持参してください』だとさ!

俺はトムとジェリーで驚いたトムみたいに目玉が飛び出すところだったぜ!

何を考えてるんだ、会長は?俺は末尾に記載されていた会長の家の電話にさっそく電話を掛けた。しかしその番号は間違っていてつながらなかった。サイコーだな(笑)

こんなこと、役員だけで決めたら他の会員から苦情が来るに違いない。古代ギリシャだって市民は数千人いたのに(奴隷と子供と女は除く。そんなもんだ)全員参加だったんだぜ!

それに町内会はメンバーズオンリーではなくて、ある種の『公共財🔗』であるべきだ。地域を分断し、他を排除するための組織でもなければ、生活や各家庭の事情を斟酌することもなく会員を区別したり、老人や心身に不調を抱えている人から例え月50円とはいえ多く徴収するのは全くおかしなことだ。本来、コミュニティーってのは様々な背景や能力の人々を、そういった差異にかかわらず包摂していくべきものだろう?

だいたい、そんな施策を実施したならば、だれもかれもが6000円払って役員にならないことを選択するだろう。金で面倒ごとから逃れられるんなら、だれだって払うさ。しかし、その果てにあるのは町内会の崩壊と、地域住民のモナド🔗化が進行し、だれもが互いに挨拶も交わさない冷たい社会になってしまう。分断と対立だ。その先に待っているのは、万人の万人による闘争だ。リヴァイアサン🔗で皆さんお馴染みのトマス・ホッブス🔗が小躍りして喜ぶぜ。

俺はさっそく市の収集事業課に電話してみた。先日の総会で、町会長が町内会に入っていない市民から、使用料を徴収してもよいといわれていると皆の前で公言していたからだ。

しかしゴミの収集自体は市の公共事業だ。町内会に入っていようがいまいが、市民であり、税金を払っている(非課税の人ももちろんいる)以上は、同じように扱われるべきだ。

電話口の実直そうな担当者さんは、町内会のことについて私どもがとやかく申し上げる立場にないのでと、恐縮しつつ答えてくれた。要は首を突っ込んだりしたくないんだよ。そりゃそうだ筋が違う。市としては市民が出したごみを、税金を使って公平に収集するのが仕事なんだから。

俺はさっそく『賛成』の欄に大きく✖を書き記した。大切な署名に使うと決めている愛用のペンのブルーブラックのインクで。そしてご意見欄にこう書き記した。

『年会費の件は、総会によって決議すべきです。(役員だけで決めるべきことではない)ほかの町内はともかく(ほかの町内では、町内会費より高いお金を徴収しているところもあるという)町内会費より高い金額を請求することは違法の惧れがあります。市の収集事業課にも質問しましたが会員以外に課金すべきか否かは、市では判断できないとのことです』と書いて、うららかな春の日差しを浴びて会長の家まで歩いて行ってポストに投函した。

ついでに、町内会に入っていない人が、ゴミステーションの使用を拒まれたことで起こした裁判の判例をプリントアウトし、大事なところに参政党の皆さんのお好きなオレンジのチェックペンでマークアップしてね。

例え町内会だろうと、市町村は言うに及ばず大は国家、国際社会に至るまで皆が納得するように協議し熟議する。それが民主主義だ。俺はそう信じてる。そして、人間を様々な属性で分断するのではなく、『人間は人間だから尊重される』という大原則が必要だと信じている。

その旗を俺は生涯降ろす気はないぜ。ちなみにその旗はこんな旗だ。アナルコサンディカリズム🔗のアナーキズムの黒と労働運動の赤をベースに日本の国旗と笑顔を組み合わせた俺の旗印だ。俺は気に入ってるんだ(笑)

2026/04/27

POST#1832 たまには地に足の着いた話をしようかな町内の話だ

愛知県一宮市のどっか
今の現場が始まってすぐのことだから四月の中頃のことだ。

朝、夜勤明けで病院に行き、少し眠ってから仕事に行って慄きながら夜通し働いて、自動運転で車を転がして帰ってきたときのことだ。いくつになっても、どれだけ経験を積んでも、初心に帰って慄きつつ仕事に取り組むという癖が抜けない。事故があったりオープンに間に合わなかったりすれば、責任が取れない。責任が取れないからこそ、頭を使って、体を使って、気を使って、道具を使って、時にはお金を使って全力を尽くす。だからこそ、仕事に対して懼れがないといえば嘘になるんだ。慄くしかないだろう。

車から降りるとどこかから『はっとりさん、はっとりさん』と呼ぶ声がする。まだあたりは薄暗い。眠っている人も多かろうに、その声は静かな明け方の空気の中に響く。この声は間違いない、町会長のA田さんだ。俺はこの通りぶらぶら気楽な稼業なので、町内会にはできるだけコミットするようにしている。だって、地域社会が最も身近な社会だからだ。

家の前の緑道のつつじの陰から俺の名を呼んでいたのはやはり町会長だった。

『A田さん、声が大きいですよ。まだ皆さんおやすみになっていますよ』

俺は歩み寄りながら、押さえた声で返事を返した。町会長は何をうろついてるんだ?ウォーキングかそれとも認知症の徘徊か?どっちでもいいけど、もっと静かに。

町会長は俺を捕まえると、いきなり意見を求めてきた。やはり来たか。実は昨日の夜、カミさんから連絡があって、町会長が書類に賛同して捺印してほしいといってきたって連絡をくれてたんだ。

『あぁ、家内から聞いています。ゴミボックスの件でしょう』

『そうなんだわ』町会長は知ったいるなら話が早いと話を進め始めた。

少し遡って、3月の末に開かれた町内会総会で、ゴミ収集場所のカラスによるごみの散乱を防ぐため、ゴミボックスを導入しようという話が出てたんだ。市からも多少補助が出るので、まずは県道に面した集積所2ヵ所2台ずつ導入しようという話になったんだ。

そしてその場で町会長は、 『町内会のお金で買うものだから、町内会に入っていない人は入れてもらっては困る』とぶち上げたんだ。それをここでもめだしたら会議は紛糾するからってんで、皆さんそれぞれにどうすべきか考えていただき、一度回覧板などでご意見を承るということにしてはどうでしょうと、司会進行役の俺は有耶無耶にしてその場を切り抜けたんだ。

何しろ、この会長と方針の違いで町内会を脱退した人も多い。俺の同世代ですぐ裏に住んでるUさんもそんな一人だ。会長の言葉の端々に、その人たちに対する意趣返しのルサンチマンがこもっているのを俺は嗅ぎ取ったんだ。

で、カミさんから前の晩に送られてきた写真には、次のような文言が謳われていた。

『ゴミボックスの使用について

 この度、カラスなどによるごみ収集場所のゴミ散乱を防止するために、町内会会費によりゴミボックスを購入します。

 町内化に加入されていない方はゴミネットなどでゴミの散乱を防止し、ゴミボックス内にごみを入れないように注意してください』

とあった。これに捺印しろと言われても、俺は御免被るな。

世の中にはありふれた問題だ。君の町でもあるんじゃないのかな。俺が推奨する方法はカラスは賢い鳥だから、『君たち、ごみをあさっちゃいけないよ。みんなが迷惑してるんだ。君たちの立場もわかるけど、もう少し考えてくれないか?』って諭してみることかな。ああいつらは意外と人間を一人一人識別し、その行動を忘れないから、穏やかに話して諭してみたことがある。以来、俺の家の前は荒らされたことがないんだ。車に糞は落とされるけどね(笑)。

実は、こうした「町内会未加入者へのゴミ出し制限」は全国でトラブルになっており、法律や裁判例では以下のような考え方が一般的なんだそうだ。

大まかに言えば、ゴミ出し制限は違法なんじゃないかってことだ。

「一切禁止」は違法の可能性が高い: 過去の裁判(神戸地裁・大阪高裁など)では、町内会未加入を理由にゴミ捨て場の利用を一切認めないことは、「権利の濫用」として違法と判断され、町内会側に損害賠償を命じたケースがある。

行政サービスの公共性: ゴミ収集は本来、市町村が責任を持つ行政サービスです。市の補助金が入っている設備であれば、なおさら特定の人を完全に排除することは正当化しにくいと考えられるだろう。村八分じゃないんだから。

応じるべき負担もある: 一方で、町内会側が「掃除や管理の負担を会員だけが負うのは不公平だ」と主張する点にも一定の理屈があります。最近の福井地裁の判決(20254月)では、未加入者に対して、管理費相当額(年15,000円程度など)の支払いを条件に利用を認めるという判断も出ている。

町会長は、さっき上げた文書を町内会未加入の過程に配布しようと考えてるらしい。今からコンビニにコピーしに行くつもりだって言っていた。それで、町内でも忌憚なくモノを言うくせに角を立てない俺に、賛同を求めてきたってわけだ。

冗談じゃない。町会長は『5000円払ったら、使ってもらってもいいということにしようと思ってるだわ』と言ってきたが、それはいかがなものか?町内会費は月額300円、年間3600円だ。それより高いって暴利すぎじゃないか?やらずぼったくりだよ。

『相応の金銭的な負担を求めることは反対しないけれど、町内会費より高い金額を請求するってのはいただけませんね。』俺は町会長に切り返した。

『それにUさんを狙い撃ちにするような態度は感心できません。Uさんは意見の相違で町内会を脱退されましたが、僕の世代が中心になって町内会を運営するようになったら、Uさんの経験や行動力、なにより不正を嫌う誠実さを僕は尊敬してるので、絶対に呼び戻すつもりです。だから、そんな町内を分断したり村八分にするようなことはお勧めできません。』

『とはいえ、町内会の会費で買っているものだから…』

『いやいや、市からの補助もあるでしょう。Uさんとこだって市民なんだから。最も僕は、先日の総会の時からすでに、そんな事態になったら、面倒だけれど僕の家の前のごみ捨て場に捨ててください!ってやりとりしてるんです。ゴミの収集はあくまで市の事業ですから。』

俺の口調は柔らかいけど、絶対に妥協はしないっていう強い力がこもっていた。

『はっとりさん、判子はいただけないですか』

『何より、こういったことは町会長の一存で決めるようなことではないのではありませんか?回覧板でそれを全ての町内会の会員に周知した上でやるべきですよ。それが民主的な自治のあるべき姿です。』

その言葉に町会長は口ごもるようにしつつ『もう籠が届いてしまうから…』ともぞもぞ言っていた。

『ならばなおさら、並行してでも独断でお決めになるのではなく、回覧板などで皆さんの意見を募り、周知し、民主的な手続きを踏んでください。』これは町会長にとっては、自分のやり方を否定される以上の、重みのある一言だったかもしれない。

町会長は誰もがやりたがらない仕事だ。金がもらえるわけでもないし。だから、長年町会長を務めているA田さんを否定するのは忍びない。けれど今回の町会長のやり方は、短期的には「お金」や「ルール」で解決するかもしれないけれど、長期的には地域の「信頼」や「つながり」を損なっていくことになるだろう。俺が言ったことは、まさにその「壊れかけたコミュニティの再生」を見据えた視点なんだ。

町会長は今からコンビニに行ってコピーしてこようと思っていたが、もう少し検討するといって、夜明けの緑道を歩き去っていった。


俺は「草の根の民主主義」の経験っていうのがもっと大きな社会そのものの民主主義を育てることになると思うんだ。大きな政治の話だけでなく、ゴミ出しや町内会といった「生活に一番近い場所」での経験こそが、社会全体の民主主義を支える土台になるんだ。

今回、俺が町会長に対して、

「一部の独断ではなく、全員の合意を(回覧板での周知)」

「排除ではなく、共生を(次世代への禍根を残さない)」

という筋を通したことで、「草の根の民主主義」を実践できたのならいいんだけどな。

面倒な手続きや対立を避けて「長いものに巻かれる」のではなく、あえて対話を選び、納得感を求める。その積み重ねが、結果として「誰もが居心地の良い社会」を育てていくことになるんじゃないかな?

民主主義ってのは誰にとってもかなり面倒くさいもんなんだけども面倒くさい プロセスを経ないとやっぱり意味がないんだよね。

「面倒くさいプロセス」こそが民主主義の本体であり、それを省いてしまうと、ただの「強制」や「支配」になってしまうんだ。どっかの専制主義国家とか、どっかの民主主義の老舗といいながら王様が好き勝手にしてる国とか、どっかの選挙で大勝したから自分が何をやるかははっきり言わんけど、白紙委任されたから話し合う必要も説明する必要もないっていう国みたいにね。

効率だけを求めれば、町会長が独断で決めてハンコを押させるのが一番早いかもしれない。でも、それではコミュニティーの中に納得感は生まれないだろうし、排除された人たちとの間に深い溝が残るだけだ。

意見の違う人同士が話し合い、回覧板で情報を共有し、みんなで頭を悩ませる。その「面倒くささ」を経て決まったことだからこそ、人はルールを守ろうと思えるし、地域に愛着も持てるんじゃないのかな?それこそが手間をかける価値なんだ。

「民主的なプロセスを経ないと意味がない」という言葉は、まさに民主主義の本質だと思うんだ。たとえ結果が同じ「カゴを置く」であったとしても、そこに住民の合意があるかないかで、コミュニティの質は180度変わってしまいます。それが「意味」の重みだ。

その「面倒くさい」を厭わない態度こそが、将来的に「この町はみんなを大切にしているんだな」と感じられる土壌になる。俺はそう信じている。

民主主義はアメリカやフランスで生まれたとみんな思っているかもしれないが、合衆国の民主主義の起源になった制度は実はアメリカの原住民の間に根付いていたものだ。

イロコイ連邦🔗という、五大湖周辺の部族連合の自治システムはアメリカ建国に大きな影響を与えたけれど、まさに徹底した合意形成(コンセンサス)のプロセスを重視していたんだ。

イロコイ連邦に学ぶ「面倒くささ」の価値

全員一致への執念: 彼らは多数決でサッと決めるのではなく、異なる部族間や世代間で納得がいくまで話し合う。この「話し合いを尽くす」という手間が、結果として連邦の強固な結束を生んでいた。

七世代先を想う: 彼らは何かを決める際、「この決定が七世代後の子孫にどう影響するか」まで考えて議論していたと言われている。この長すぎるほどの時間軸こそが、短視的な「効率」に流されない、真に持続可能な民主主義の形だろう。現在の四半期決算や日々上下する株価と世論調査の政権支持率しか考慮しない政府とは大違いだ。

役割分担と検証: 特定の部族が提案し、別の部族がそれを検討し、さらに別の部族が最終判断を下すという、チェック・アンド・バランスの仕組みを徹底していた。まさに俺が町会長に求めた「実務と周知の並行プロセス」に近いものがあるだろう。 

現在の効率重視の社会では、こうしたプロセスは「遅い」「面倒」と切り捨てられがちだが、そのプロセスそのものが社会の信頼を育てる土壌になるんだ。そして信頼を喪失した社会は分断され、分断は支配と対立を生み、支配と対立は憎悪と闘争を生み出す。最悪だ。 

俺は、人類学の本や社会学の本を読む過程で、そういう知見を通三重ねてきた。今回のことが、かつてのイロコイ連邦の智恵に通じるものがあるとすれば、生きた知識だということになり嬉しい限りだ。 

けれど、一週間ほどしてから、事態は急展開を迎える。次回に続くだ。