2026/08/19

POST#1943 今日も疲労困憊した睡魔の中で君に送ろう

Bremen,GERMANY
肖像権という考え方が一般的になってきた。

この15年くらいの間だ。社会が多様性とか、共生とか言い出したころから、歩調を合わせるようにね。コンプライアンスとかハラスメントとか、日本語としてこなれていない言葉が、生活の中に土足で踏み込んできた。

その間に世の中では、多様性といいながら、共生といいながら、普通という閾値は狭くなった。行動のストライクゾーンが狭くなった。生きていくことが形苦しく息苦しくなった。普通というカテゴリーに押し込められ、そこから逸脱すれば、社会的に排除されるようになった。みんな同じような行動や思考のストライクゾーンの中での多様性や共生だったように感じる。

かつては、ストリートスナップは、ヌードと並んで写真の王道だとされていた。

しかし、今ではヌードは女性の生を商品化していると批判され、社会からほぼ排斥された。

ストリートスナップはSNSの隆盛と反比例するように、肖像権が叫ばれ、写真の中で記号として存在しているだけの人々が、異議申し立てをするようになった。

さらば荒木経惟。さらば森山大道。写真よさようなら。

このような写真は、もう今ではとることは憚られるようになった。犯罪者扱いされるのは御免被る。その一方で、災害が起これば、或いはロシアやイスラエルやアメリカの軍事攻撃では、死者○○人と単なる記号で処理される。

街を歩けば、あっちにもこっちにも24時間監視カメラが、俺たちの顔を写し取っている。誰も気にしない。誰かがモニターで、その挙動を見つめているというのに。それには無自覚だ。むしろ、管理され、守られていると安心していられると思っているかのようだ。

しかし、剥き出しの暴力性や身体性の前では、監視カメラは単なる監視カメラだ。ボブ・ディランの”All along The Watchtower"だ。くそ、どこかに抜け道があるはずじゃないのか?

俺はいつも街中で、そんなカメラを見つけると、ぐいと顔を上げ、レンズを睨めつけるように歩くことにしている。

俺は、従順な家畜じゃない。不埒なおっさんでいたいんだ。 

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