2011/06/07

Post #207 Fragment Of Fragments #18

読者諸君、ご機嫌いかがかな。こちらはまぁまぁだ。
今日からしばらくは、俺のホームタウンというべき名古屋のど真ん中で仕事なんだ。電車でGo!だ。地球の環境にも、俺の財布にも優しいぜ。電車で現場に通えば、行き帰りに写真も撮れるしな。ただし、電車に乗るのは気が重いんだ。痴漢に間違われたりしないかどうか、非常に気がかりだ。迂闊に写真なんか撮ってて、植草一秀教授みたいに逮捕されかねんぜ。
Paris
今日から乗り込みだった割には、仕事はあっさり終わったぜ。
ふふふ…、調子いいな。しかし、朝早かったから眠いんで、写真を撮ってぶらつくのは今日はお預けだ。かわりにと言っちゃなんだが、近くの美術館のB1にあるNADIFF愛知に行って写真集でも買ってくるとするか。
中平卓馬の『Documentary』(Akio Nagasawa Publishing刊)さ。これ、今年の頭に発行されていたんだけど、限りなくインディーズ出版の流れなんで、そんじょそこらじゃなかなか売っていないんだ。NADIFFで売っているのは知ってたし、以前にもお店のおねーさんに勧められてはいたんだけれど、資金的な問題もございまして、見送った経緯があった訳だ。
資金にめどがついた後も、読者諸君もご存じのとおり、殺人発狂的に忙しかったから、買いに行く暇がなかったんだ。忙しいってのは、まったく心を亡くすぜ。
うむ、イイ写真集だ。これについては、まぁ例によって近日中に紹介させてもらおうかな。楽しみにしてておくれよ。
Barcelona
ひとつだけ、俺には分かってることがある。写真でも、音楽でも、人生でも言えることだ。

『マンネリでも飽きなきゃいい』

かつて天才アラーキーが言っていたのさ。大抵の凄い奴は、自分のスタイルを持っている。時代がどんなに変わっても、自分のスタイルに確信を持っている奴は、ぶれない。そして、勁い。

俺の写真も、マンネリかな?俺はちっとも飽きちゃいないんだがね。どうだろうかね、諸君。
さて、今夜も失礼させてもらうぜ。いささかあっさりかなとも思うけれど、明日も電車でお出掛けしなけりゃならないんだからな。

2011/06/06

Post #206 東方見聞録を読みながら

昨日の昼間、俺は久々に家の掃除をしていたんだ。日曜日にまるっと休みってのは、久しぶりだったからね。天気も良かったし、絶好の掃除日和だ。
本棚の整理をしていて俺は、マルコ・ポーロの東方見聞録(平凡社ライブラリー刊上下巻)を見つけたんだ。
俺が買ったんだろうか?まったく覚えがないぜ。しかし、こんな本買うのは、俺しかいないよなぁ。

俺は、何冊もの本を気の向くままに並行して読む癖がある。ちょいとお菓子をつまむように、一度読んだことのある本の、気に入ったところや適当に開いたページを、お菓子をつまむように読んでいるんだ。おかげさんで、部屋の中には読みかけの本が何冊も放り出されている。すぐに散らかっちまうぜ。
掃除をさっさと切り上げた俺は、さっそく東方見聞録を読み始めた。
Izmir,Turk
これが滅法面白い。
まだ上巻の4分の1くらいしか読んでいないんだ。今読んでいるのは、アルメニアからグルジア辺りの黒海沿岸からトルコ、イラク、イランあたりの中近東に関する部分だ。
去年のクリスマスの時に紹介した、イエスキリストの誕生を祝った東方の三博士に関する記述もある。この伝説的な三人の博士、メルキオール、ガスパール、バルタザールの墓が、現在のテヘランの近郊にあるとか、イスラム教徒のカリフ(イスラム教の指導者というか王様みたいなもんだ)によって、改宗か死かを迫られたキリスト教徒が、山を動かす奇跡を起こした話しとか、面白い話が次々と出てくるんだ。やめられないぜ。止まらないぜ。
このあたりの内容を読むと、日本人にとって歴史的にあまりなじみのないこの地域で、現在起きている出来事の鱗片をくみ取ることが出来るような気がするぜ。
イスラム教徒と当時の支配者タルタール人(つまりはモンゴル人ね)との関係は、現代のイラクにおけるアメリカの苦境に思いを致すことができるぜ。クルド人の問題や、イスラム国家の中に暮らす少数派のキリスト教徒の圧迫された生活。これらは700年ほど前から大きく変わりはないんだ。いやむしろ、本質的には何も変わっていない。
現在の世界ってのは、実は今だに中世を生きているような世界もあるし、原始的な生活を送っている人々もいる。古代人のように生活している地域もある。腰巻一丁で槍を以て歩いているような人が携帯電話を持っていたりもするくらいだ。
そう、実に世界は多様性に満ちているんだ。
俺たちが暮らしているこの日本の生活形態だけがすべてだなんて、料簡が狭いぜ。ペットボトルのキャップくらい小さいってもんさ。
短いこの人生で、この世界のさまざまな地域で暮らす人々に、出来るだけたくさん会ってみたいもんだ。
Amsterdam
さて、俺は今日は仕事が開いていたんでプリントするつもりでいたんだ。しかし残念ながら、明日からの仕事の打ち合わせが入ってしまった。いかん、プリントするには時間が中途半端になっちまってしまったじゃないか。仕方ない、この東方見聞録を読んで中途半端な暇を潰すとするかな。
そんなわけで、暑さの和らいだ夕方、俺は窓辺に座って風に吹かれながら、東方見聞録を読んでいた。
そう、仕事の連打連打の毎日だけれど、心ばかりは旅の空、仕事をしてても上の空さ。
この西の空の向こうに、見たことのない国々が広がっている。
俺のあったことのない人々が、今日も生活を営んでいる。
俺は、本を伏せて、夕暮れの空を眺める。
旅に出たいなぁ。

最近、次の旅の行先が決まった。時期は年末年始。行先は北アフリカ、モロッコだ。楽しみだぜ。まだズイブン先の話しだけれど、読者諸君、楽しみにしていてくれ給え。頑張るぜ。

読者諸君、今日はこんなところで失礼させてもらうぜ、明日は珍しく朝早くから仕事なのさ。

2011/06/05

Post #205 勝手に金子光晴週間 その2

イケないぜ、5月の帳簿を作っているうちにすっかりこんな時間だ。
今日はあっさり行かせてもらいましょうかね、またボケボケしていると、怒られちまうからな。男一匹おまけが一人、なんとも生きていくのも世知辛いもんだぜ。俺は家庭内では叱られてばかりなのさ。掃除や洗濯も結構やっているのにな。とりわけ車の運転に関しては、必ず叱られているといっても過言ではない。いや~、まいったなぁ。
HomeTown
さてと、今夜は久しぶりに、『勝手に金子光晴週間その2』ってことで行ってみよう。とはいえ、こんな飛び飛びじゃ、週刊でも何でもないんだけれどね。そこらへんにはあえて突っ込まず、福島あたりで流行っているメルトスルーってカンジでよろしく。
今夜君たちに紹介させてもらうのは、俺が写真を撮っている時に、ふと脳裏に浮かんできたりする詩なんだが、これがなかなかいいカンジの詩なんだよ。君にもぜひ知ってもらいたいんだ。

『無題』

凄まじいな。もう僕も五十一だ。

僕がこの世ののぞみといへば
あの女たちにもう一度あつてみたいことだ。

かたらふすべもなくて、僕がそばを
すりぬけていつたあの女たち。

どんなにかはりはててゐたつて
いや、それはお互いさまぢやないか。

どこまでも追ひかけていつて
僕がききたいとおもふ一言は、
“まあ、あのときのあんただつたの?”

金子光晴 『無題』 女たちへのエレジー(講談社文芸文庫)

HongKong
そうさ、ネーチャン・フォトグラファーと言われるこの俺が、この詩を知ってから、街角で女の子の写真を撮っている時、このとぼけたカンジの短い詩が、ふと頭に浮かんでくるのさ。
滑稽なとぼけた語り口の中に、人間の在り様にたいする、いかんともしがたいさみしさや悲しさが漂っているんだ。誰だって、この歳月の無常さには抗うことは出来っこないんだ。アンチエイジング?せいぜい頑張ってくれ。見かけは若さを保っていても、心が老いぼれちまっていたら、それはそれで残念だがな。

昔々、いろいろあった女の子たち、
何もなかったただすれ違っただけの女の子たち、
そして昨日の話しに出てきたような素敵な女の子…。

俺はまだ、42歳だけれど、この詩のように50をいくつか過ぎたころ、こんな風に変わり果てた彼女たちにもう一度会ってみたいと思っているのさ。
その時、ハゲてたり、みっともなく太っていちゃ、なかなかに残念だ。俺はそれをヒジョーに恐れているんだ。昔の彼女にばったり会ったりして、『あんたみっともない年寄りになったわね』なんて、誰だって言われたくないだろう?それは辛いぜ。残念きわまる。だから、そんな情けないていたらくにならないように、今のうちからせいぜい節制しておかないとな。

OK、そのためには今夜もとっとと終わらせて、風呂に入って頭皮のマッサージとかしっかりやってだな、明日に備えてとっとと眠らないとな。
読者諸君、また明日か明後日、ごく近いうちに会おう。もうすぐまた、怒涛の仕事ラッシュが俺に押し寄せてくるんだ。今のうちにしっかりと充電させてもらうとするぜ。