2011/06/19

Post #219 All Men Are Bored With Other Men's Lives

俺のブログに『他人の人生を生きるのはうんざりだ』というのがあるんだが、何故だかこれが地味にPVを伸ばしている。しかも、検索で引っかかって読んでくれる、いわゆる一見さんが多いようなんだ。
悪い事じゃないんだけれど、俺は考えさせられる。
この世の中で、かなりの数の人々が自分自身の人生を生きていないという、心の飢餓感を抱いて生きているということだろう?自分の人生に満足してないのかい?自分で選んだ道じゃないのかい?俺はあえて問いたいぜ。大いに危惧しているんだ。この人たちの心の健康が、おせっかいだと思いながらも、心配だ。
このフレーズは、俺の心の糧ともいうべき、The Who の名曲中の名曲、『Pure & Easy』の一節を日本語に訳して拝借したものだ。スティーブ・ジョブスとかとは何の関わりもない。世界そのものが本来備えていた純粋さを失い、人間は自らの本来性を損なっていることを、そして、本来性を回復し、世界と一体となるために、かつて世界に満ちていた完全で単純で美しい音色を聴け!と歌ったものだ。小難しーロックなんだ。しかし、美しく力強い曲だ。名曲だ。町を歩けば自然と耳に入ってくる、そこいらの曲が束になっても足元にさえ及ばないだろう。
Tokyo
俺が敬愛してやまない岡本太郎も、その歴史的名著『今日の芸術』の中で、今からもう50年も前に、こんな状況を『自己疎外』という言葉でつかみ出し、憂慮している。
これは大事なことなので、うん、いささか長ったらしいが、引用してみようか。野郎ども、行くぜ。

『なるほど人は、社会的生産のため、いろいろな形で毎日働き、何かを作っています。しかし、いったいほんとうに創っているという、充実したよろこびがあるでしょうか。正直なところ、ただ働くために働かされているいう気持ちではないでしょうか。
(中略)
「自己疎外」という言葉をご存じでしょう。
このように社会の発達とともに、人間一人一人の働きが部品化され、目的、全体性を見失ってくる、人間の本来的な生活から、自分が遠ざけられ、自覚さえ失っている。それが自己疎外です。
自分ではつかうことのない膨大な札束をかぞえている銀行員。見たこともない商品の記帳をするOL。世の中は自分とは無関係なところで動いているのです。
一日のいちばん長い時間、単一な仕事に自分の本質を見失いながら生きている。
(中略)
義務づけられた社会生活の中で、自発性を失い、おさえられている創造欲が何とかして噴出しようとする。そんな気持ちはだれにでもある。だが、その手段が見つからないのです。』

この後、岡本太郎の筆は、ビシビシと冴えまくるんだ。

『失われた自分を回復するためのもっとも純粋で、猛烈な営み。自分は全人間である、ということを、象徴的に自分の姿の上にあらわす。そこに今日の芸術の役割があるのです。』

とくるわけだ。

それはべつに絵画や彫刻でなくってもいいだろう。音楽でもいいし、文学でもイイ。何か身内から吹き上がるマグマのような衝動に、筋道をつけてやれるのなら、何でもいいだろう。生きてるって、実感するぜ。たまたま、俺の場合は、それが写真だったんだ。それだけのことだ。
前にも言ったように、仕事には命は賭けることはできねぇが、道楽は命懸けってのは、こういうことだ。
Tokyo
自分じゃ何もしない、何もする気も起きない、そして、イライラして周囲の人間を批判して溜飲を下げる。それもストレス解消にはなるかもしれない。しかし、そんなんで人生終わったらたまらないぜ、くだらないぜ。俺たちに与えられてる時間は、長いようで、実はすごく短い。あっという間に42歳になっちまった俺が言うんだ、間違いない。消費者とかよりも、創造者でありたいと思わないかい?
家畜みたいになんでも与えられて、決められた道筋を大人しく歩み続ける。自分では何一つ生み出したりしない、そんな人生は、つまらないぜ。
よく考えようぜ、自分の人生なんだからな。娯楽とか言って、パチンコ屋や飲み屋のネーチャンに金を払って、自分の時間を浪費するなんて、俺からしてみりゃ、チャンチャラおかし―ぜ、あほらしーぜ。これじゃ、消費者どころか浪費者だぜ、まったく。
仕事で自己実現?それもいいだろう。けど、仕事がなけりぁ、君には価値がないのかい?年食って働けなくなったら、この世のお荷物になっちまうってのかい?
そうじゃないだろう。
ただ生きているだけの人生には意味はない。俺たちは無限の時空の中で、かりそめの命を与えられた儚い存在にすぎない。しかし、自分で何かを生み出すとき、世界は確固たる手ごたえを返してくれるだろう。人生の意味が、自分の中から湧き起ってくるだろう。
道楽者に幸あれだ!
俺達には、創造力こそが、必要だ。複雑怪奇で混乱したこの世界で、自分の世界を築き、座標を決めうるスキルが必要なんだ。流行に浮かれてるよりも、自分自身に浮かれてる方が、ずっとカッコいいんじゃないのかい?
何でもいいだろう、自分が好きなことを、自分がやりたいと思っていたことを、本気でやってみたらいいのさ。旨い下手など関係ねぇーさ。自分が良ければ、何でもイイ。そうこうしてるうちに、俺みたいに、俺サイコーで、最強って、根拠不明の自信が湧いてくるのさ。どっからでもかかって来いやってなもんだ。
とはいえ、その道は険しいけどね。たいていの場合、金は儲からないし、女にちやほやされるわけでもない。下手をしたら、ゴッホみたいに、耳を自分で切り落す羽目になるかもしれない。けど、自分で選んだ道なんだぜ、苦労も批判も覚悟の上さ。苦しみのない人生なんて、タイヤのない車みたいなもんさ。どこにも行けやしないぜ。

OK!それさえつかめば、人生は変わるだろう。

冒頭で紹介したThe Whoの曲は、こう締めくくられている。

We all know succsess, when we all find own dreams
And our love is enough to knock down any walls
And the future's been seen, as men try to realize,
The simple secret of the note in us all

There once was a note, Listen

(俺達の全てが夢を見出した時。俺たちは成功を知る。
俺達の愛は、どんな壁だろうと打ち崩すことが出来る
俺たちすべての内に響く音色のシンプルな秘密、
それを実現するにつれて、未来は見えてくるんだ

かつて一つの音色があった。聴け!)

世の中の他人の人生にうんざりしている皆さんに、ささげるぜ。
失礼する。昨日上海から帰ってきた連れ合いに、今こっぴどく叱られちまったぜ。
ふふふ…、これが俺の人生さ、ロックンロールさ。

2011/06/18

Post #218 Naked Eye #7

今日は一日、小雨が降り続いている。俺がもしナメクジなら大喜びの天気だろう。
しかし、俺はナメクジでもナメック星人でもない。こんな天気はあまり好きじゃないのさ。しかし、仕方ない。誰にも雨を止めることなどできはしないのだから。
しかし、雨の日に写真を撮るのは決して嫌いじゃない。とりわけ夜だ。濡れた路面にネオンの光が反射して、何とも素敵だ。エロスが漂うぜ。
HomeTown
今日は友人に仕事をお願いしたんだけれど、彼の車の中でジェフ・ベックのCDを見つけて、速攻借りてしまった。ジェフ・ベックかっこえ~。心に沁みるような渋いギターだ。99年のWho Else!もパワフルでぶっ飛んだプレイが炸裂しているが、去年発売のEmotion & Commotionのしっぶ~い、優しい音色のギターもこれまたたまらん。
友人は、天白区(名古屋の区の一つ)でジェフ・ベックの良さがわかるのは俺だけといっていたが、いや、俺もいいと思うよ。
HomeTown
読者諸君、今夜は、いろいろと溜まりに溜まった仕事をやっつけなけりゃならないんで、こんなところで失礼させていただくぜ。いろいろと書きたいことはあるんだけれど、何分一日は24時間しかない。それどころか、仕事の休みも満足には得られない。頭の中には、仕事が溜まり、肉体には疲労と尿酸がたまる。これが俺の人生だ。ロックンロールだ。

2011/06/17

Post #217 I See

俺が思うに、写真に関しては本来的に言葉は不要だ。
Tokyo
理解することなく、一瞬で了解する。
I See, But I Can't Understand. 
つまりは、百聞は一見に如かずだ。
その視覚情報の意味するものは、了解した個々人が、写真を仲立ちにして、自らの中から生起して来るイメージから、そしてそのあとからそれぞれの脳裏に浮かびあがるイメージの残滓ともいうべき言葉から、汲み取り、見出すべき類のもので、決して撮影者の意図を十全に、いやむしろまったくと言っていいほど、反映するものではない。

Tokyo
その文脈で考えると、写真はコミュニケーションのツールであると同時に、撮影者と鑑賞者の間に、いかんともしがたい齟齬を生み出しうるディスコミュニケーションのツールでもありうる。
その過程では、醜いものが美しく見えることもある。倫理に反する行為が美しく見えるときもありうるだろう。
理解することなく、了解するという地平においてこそ、この意味の転倒は生じうると考えている。
ゆえにこそ、意味を逸脱した、いわゆる決定的瞬間ではない、ありふれた光景を写真に写す事に対する意味の比重が生じ得るし、そういった写真に、ある種のこだわりを抱いている。

Amsterdam
正直に言えば、写真はどこか後ろめたい行為だと、俺はいつも感じている。どこか反社会的で非人間的な行為だと、俺には感じられる。
カメラを右手におさめ、シャッターには常に指をかけ、何時でも動物的に、瞬間的にシャッターをきりつつ、雑踏を歩むとき、俺は自分がすっ裸で、道行く人々にさらされ、対峙しているように感じるのだ。俺はふと何とも形容しがたい不安に襲われる。しかし、武器は右手にしっかりと握った一台のカメラしか、無い。心を奮い立たせ、シャッターをきり続ける他、不安を乗り越える術を俺は知らない。

読者諸君、今日は疲労困憊した。率直に言って、俺は眠りたいのさ。だから今日はこれで失礼する。諸兄諸姉が、有意義な週末をお送り下さることを、仕事に明け暮れながらも祈っている。