2012/09/05

Post #618 夜市、もしくは銀座通りの衰退

Fes,Morocco
俺が今出張している、清水の町は夜が早い。7時ごろには銀座通り(銀座通りという地名はどこにでもある。これには食傷気味だ。東京の銀座は、銀座のインフレに悩まされてはいないのだろうか?そう思いたくなくるほど、どこに行っても銀座通りってのはある。それはたいていの場合、アーケードの下、昼間でも多くの店のシャッターが閉じられたうら寂しいものだ。)のたいていの店は、シャッターを閉めている。居酒屋のチェーン店がぽつぽつ営業しているくらいだが、毎晩居酒屋で飯を食う訳にはいかないぜ。痛風になっちまうし、金が懸って仕方ないだろう。もちろん、飲み屋もありゃしない。俺は毎晩のようにコンビニか西友の弁当を喰っていた。寂しいものだ。
照明によって明るく照らされたアーケード街を行くものはほとんどいない。電気の無駄だとはこのことだ。ここは清水だから、人々は『ちびまる子ちゃん』に出てくるような一家団欒を愉しむ地域文化をお持ちで、家族とちゃぶ台を囲みTVのバラエティを見るために、とっとと帰ってしまうのだろうか?しかし、日曜日に歩いてみたところ、昼間もさほど人が歩いている気配がなかったが・・・、大丈夫か清水?
かつて訪れたモロッコのフェスでは、迷路のように広がる路地をグングン進んでいった先にある庶民の暮らすエリアに路上マーケットがあり、曜日にもよるんだろうが、かなり夜遅くまでにぎわっていたっけな。俺はふと懐かしく思い出したよ。
こっちで言えば、百円均一で売っているような雑貨や、しまむらで売ってるような日常衣料、つま先の尖ったサンダル・バブーシュ、子供だましのおもちゃ、電化製品、そしてさまざまな食い物、そんな雑多なものを扱う屋台が、道の右にも左にも真ん中にも、無秩序なまでに立ち並び、活況を呈していた。もちろん、何だかよく訳の分からんものを食べるのにも事欠かない。人ごみでスリに会うんじゃないかって心配になるほど、人出が多かったな。あぁ、あれはなかなかに楽しかったぜ。忘れられない夜だ。
ひるがえって、わが祖国日本、そしてその日本全国津々浦々にある銀座通りの惨状たるや寂しさを通り越して、危機感を抱かざるを得ん。
どうしてしまったのか?
日本全国津々浦々という程各地に行ったわけでもないが、そんな寂しい商店街はあちらこちらで見かける。大抵は活性化の為と称して、やたら小綺麗に整備されていたりする。そうだな、例をあげれば、電線を地中化したり、アーケードのペンキを塗りなおしたり、アスファルトを剥がして、美しいタイルを敷き詰めてみたりしている。しかし、そんなんで商売繁盛するのなら苦労はいらないだろう。それでウハウハしてんのは土建屋だけだ。
地方都市では、誰も彼もが車に乗って、郊外のイオンに行ってしまう。その方が便利だし、欲しいものを見つけられる可能性が高いからな。
行政は、分かっていないのか?それとも、地方交付金を使うためだけに、誰も来ないような商店街に、多額の資金を注ぎ込みつづけるのか?はなはだ疑問だ。
人びとは商店街がきれいだから集まるわけではない。そんなにじゃぶじゃぶ税金を使ってシャッター通りを整備するもんだから、海外から来た人々は、日本は異常なほどキレイだと感じるわけだ。まぁ、実際キレイなんだがね。
俺がいつも考えているのは、街の中心のシャッター銀座に、外国人街を誘致するというアイディアだ。意外かもしれないが、なかなかおもしろそうだと思うぜ。
なにしろ俺達の人生はやたらとコストがかかるんで、少子高齢化が甚だしい。シャッター通りになるのは、客の減少だけが原因じゃなくて、商店主の高齢化による面も多いだろう。人間は誰しも年を取る。年をとっても元気な人もいるが、大抵はそうじゃない。病気がちになったり、寝たきりになったり、ってのがリアルなところだろう。自分の身体もままならないのに、移り変わりの激しい世の中で、商売を続けていくのは大変だ。閉店したくもなるってもんだ。そして、人間は例外なく年を取っていく。これじゃ、街はいずれ西部劇に出てくるゴーストタウンのようになっちまうだろう。そのためには、外から人間を呼び込んでみるのも、なかなかイイアイディアかもしれないぜってことさ。
海外からやってくる労働者の多くは、単純労働で安い賃金でこき使われているから、移動手段は徒歩、電車、自転車に限られる。根性と暇がないと、郊外のイオンとかには遠征しないだろう。また、安くてうまいエスニックフードが食えるようになるだろう。
こういった人々が集まれば、街ににぎわいが出る。そして、日本中どこでも同じような銀座通りが、それぞれの国の言葉が日本語とともに交わされる中華街や、ブラジル人街なんかになっていくんだ。その土地ならではのご当地グルメや土産物もできることだろう。面白そうだ。
例えばだ、俺の住んでいる町では、中国人労働者が多いので、中国人向けの商品なんかを扱う店や、中華料理屋をいくつかそこに呼び込んでみるんだ。商売が軌道に乗ってくると、人間ってのは精神的な満足を求めるってのは世界共通だ。てなわけで、彼ら自身の手によって、関帝廟なんかが作られるようになれば、その町に今までとは一味違う名所が出来たようなものだ。当然、他の地域で暮らす中国人も集まってくるだろうし、にぎわいにつられた日本人も、興味本位で足を運ぶことだろう。全国的に見分けもつかないような没個性的な駅前銀座よ、さようならだ。
ブラジル人の多い町もあることだろう。インド人街とかアラブ人街なんてのもあっても面白いが、それは今後の日本の行く末次第だろう。俺自身は、日本は海外から移民を入れたりしないと、そろそろやって行けなくなっちまうって、真剣に考えているんだ。俺はこれをニッポンコスモポリス構想と名付けているんだがね。
しかしまぁ、愛想はいいけれど、内心では排他的な日本人(それは田舎者ということと同じだ)が多いんで、こんな独自の政策を掲げるような市長さんが現れることはないだろうな。第一、選挙で当選しないか。
今日はなんだか、意外な方向に話がながれちまったなぁ・・・。まぁ、いいか。

読者諸君、失礼する。

2012/09/04

Post #617 自画自賛、そして俺の好きなトーン

Bruxelles
かつての森山大道や中藤毅彦のような、増感してざらりと荒れたような粒子感のある写真が好きだった。いや、今でも好きだ。どこか絵画のようですらあるそんな銀塩写真に憧れていた。
随分長いこと写真をやってきたが、結局そういう写真のトーンを自分のものにすることはできなかった。それは自分の技量の無さもあるし、自分の臆病さからきているのかもしれない。
その代りに、硬調でぬっぺりと黒がのっている写真が自分のスタイルになったんじゃないかなって思う。仕方ない。俺は森山大道の映画『≒森山大道』を見て、プリントのやり方を学んだというくらいテキトーな男なんだ。
それが結果的に、好むと好まざるとに関わらず、自分のスタイル、自分のトーンになってしまったという訳だ。
おかげさんで、最近のデジカメについている、アートモノクロモードみたいな、やたらとざらりとした写真とは、少し方向性が違うわけで、今思えばよかったんじゃないかなと思う。
俺の写真を特徴づけるものがあるとしたら、俺はこのシングルグレード印画紙4号を使い、黒っぽく焼きこんだトーンに最大の特徴があると思う。
たまに反動のように白っぽいハイキーなものも出現するが、先日も言ったようにそれはそれで好きだ。矛盾しているようだが、黒と白の両極端に振幅のデカいカンジこそが、如何にも自分らしくて好感が持てる。
両極端を抑えていれば、その中間のどこかにあるはずの中庸もしっかりそこに内包されているはずだからな。もし自分に偏ったところがあると思うなら、真逆のことをやってみればいい。周囲はあきれてあいつは両極端でよくわからないというかもしれないが、自分の中ではバランスを取ることができるだろう。
俺はそれをロックから、もっと端的に言うとThe Whoから教わった。繊細さと凶暴さ、知性と暴力性、そんな正反対のものが奏でるハーモニーちゅうやつを。余談ながらね。
俺の写真を特徴づけるモノの中には、もちろん、トーン以外にも被写体との距離感や適当なフレーミングちゅうのもあるだろう。けれど、やはり自分の写真の特徴は、このぬめっと黒っぽいトーンだと思う。
このブログを読んでくれている人の中には、俺の写真が好きだという人もいるかもしれない。(もちろん、いてくれると有難いが。)けど、一番俺の写真を好きだってのは、間違いなく俺だと思うよ。言うたらまぁ、自画自賛ってところだな。

読者諸君、失礼する。今日は仕事の最終決戦、いうたらハルマゲドンか関ヶ原みたいな日だからね。しっかり眠っておかないとね。夜中に後味の悪い夢を見て目を覚ましたからって、こんなことばかりやっていてはいけない。人間、深い休息が無ければ、フルで活動することなんてできはしないんだ。もう一度言おう、失礼する。

2012/09/03

Post #616 君子三日会わざれば刮目して見よ!

HomeTown
久々に、古い友人に会った。3年ぶりくらいか。
男子三日会わざれば刮目して見よというけれど、ここ3年で20キロも太っていやがった。一瞬どこのおっさんだよと思ったくらいだ。
余りに急激に太ったもんだから、脂肪によって横隔膜が押し上げられ、肺が圧迫されて縮んでしまったそうだ。そんな阿呆らしいことがあるものかどうか、俺は知らんが、実際にそんな話が納得できるほど太っていやがった。
俺がそんなに太ったら、誰か俺を屠殺場に連れて行ってくれ。俺の自意識はそんな醜態をさらすことに耐えられそうにないからな。
もっとも、旨い肉ってのは、脂肪だけじゃだめなんだけどね。脂肪と筋肉が適度に混じった肉がジューシーで旨い。松坂牛を見よ!人間で言えば、プロレスラーのような身体か。痛風患者の肉食男子たる俺が言うんだから間違いない。
ただのデブじゃ、脂肪から石鹸を作るくらいしか用途はなさそうだ。これは俺が適当に言ってることじゃなくて、20世紀の前半にドイツ人がユダヤ人やロマ人を相手に実験をした実例がある。奴等は髪の毛も潜水艦の断熱材に利用していた。まったく、合理的とは怖ろしいものだ。
なに、人を喰ったことがあるのかって?
大岡昇平か佐川君じゃあるまいし、あるわけないだろう?
もっとも、人を喰ったような発言なら、しばしばしてるけれどね。
読者諸君、失礼いたす。