2012/09/08

Post #621 富と国家の根深い関係について

Marrakech,Morocco
私に対して、妄執のような敵愾心を燃やす人間から、心無い事を言われてしまった。
曰く、『あんた一人生きるだけでせーいっぱいの奴が偉そうに国家語るんじゃねーよ!!!』
ハッハッハ、こう見えても私は筋金入りのプロレタリアートなんでね、働いても働いても、わが暮らし楽にならずだ。From Hand To Mouth だ。
彼の言うことはもっともだが、失礼極まりない。そういう事を言う人間の人間性を疑うというものだ。まぁ、イイ。言いたい奴には言わせておくがいい。カエルの面に小便だ。ブログのネタにして笑い転げてやるぜ。
では仮に、金がドバドバあったなら、国家を語ってもイイってことか。確かにワタミの会長とか、古いところなら松下幸之助とかそんなところだろう。けっこうなことだ。
私のような貧乏人は、奴隷のように何も考えず、蟻のように働いて、カツカツ生きて、自分のことだけ考えていればいいということだろう。
しかし、私は政府の諮問機関などに名を連ねる、金持ちの方々に、敬服感服したことが無い。所詮私とは趣味が違うということか。

さて、彼の言うことは一理ある。けっこうな考えだ。いっそ、戦前のように、高額納税者以外は選挙権がないとかいうことにしてくれとかまで、踏み込んで言及して欲しかったものだ。社会の底辺で働く人間は、家畜のように与えられる娯楽に酔い痴れ、国家や社会の行く末など、微塵も考える必要はないということだろう。それはイイ、俺もそうすりゃ、もっと小金持ちになれるだろう。結構なことだ。笑いが止まらない。マセラティでも転がして、高そうな時計をさりげなく見せびらかすのさ。そして、権力を持った奴等にせっせと贈り物でもして、金持ちの税金を減らして、何も考えちゃいない虫のような貧乏人から、効率的に税金をむしり取ってもらうようにそれとなく話を持ちかけるのさ。
金持ち連中は、そんな素敵なアイディアのことを、自由主義と命名しているようだ。
きっと、彼らの旗にがあったなら、それは黒地に骸骨が染め抜かれ、その下には二本のぶっちがいの大腿骨があしらわれていることだろう。
OK、素晴らしい人生だ。素晴らしすぎて、屁が漏れちまうぜ。
さて、資本家と呼ばれる金持ちが、国家と相性がいいのは、彼らの生きがいにして、目標たる富=資本というものが、国家によって担保されているからだ。
私も君も大好きなお金というのは、国家の信用によって、単なる紙切れが、いやさらに言うと通帳に並んだ数字が、あらゆるものと交換可能な価値を持つ、不思議なマジックの賜物だ。マジックなので、種も仕掛けもある。国家が、その価値を担保して降り、さらには国の信用の度合いによって、その価値が相対的に変動するというものだ。
もし、万が一、国家が解体してしまったならば、資本家もしくは資本家予備軍の皆様の資産は、まったく意味の無い、陳腐なものと化す。魔法が解ける瞬間だ。もっとも、彼らは目ざとく鼻が利くから、とっとと資産を海外に移転していることだろう。それが国家財政の破たんを加速させるということを知りながら。まったく、笑わせるぜ。
ちなみに、私には資産らしい資産もありゃしないので、そうなってもさほど困らない。大好きなCDが消えるわけでもないし、俺の写真が消えてしまうわけでもない。先々を心配してやるような子供もいない。気楽なものさ。
そうなってしまっては、資本家もしくは資本家予備軍の皆様の大切きわまる資産は、雲散霧消してしまうので、彼らは常に国家権力を擁護する。つまりは、保守化するのだ。
その一方で、高額所得者の税金を上げると、高額職者の皆さんは、資産を海外に移転してしまうと脅しをかけている。大企業の経営者の皆さんも、しばしばそういうことをおっしゃる。
彼らの愛国心など、たかが知れたものだ。それどころか、高額所得者の税金を下げれば、高額商品の需要が高まり、その生産流通に従事して働く貧乏人にも好影響が出るという。ハッハッハ!それはイイや、私たちは中世ヨーロッパの食卓の下をうろつきまわる犬のように、高額所得者の食べこぼしをいただいて、生きてゆけばいいっていうことか!せいぜい頑張って、無駄遣いしてくれよ。

私にもしも、遊んでいても生活できるような充分すぎる資産があったなら、きっとガリガリの国家主義者になっていたことだろう。そう、読者諸君が日々読んでくれているようなことなど、微塵も考えない、ごくありふれた小金持ちの中年がいるだけだ。もちろん、旅行もしない。その間にビジネスした方が儲かるってもんだろう。本なんか、利殖と節税テクニックの本しか読まない。坂口安吾や金子光晴なんて人生の敗北者のような連中の本など読んでたまるか。
新聞は反日的と悪名高い朝日新聞ではなく、日経新聞か保守本流の読売新聞を読んでいることだろう。
写真?そんなくだらないことで自分の人生の貴重な時間を潰すことなどないだろう。
そんな自分を想像してみると、なかなかに興味深い。クソくだらなくて、やっていられないほどつまらない。金以外に自分の価値がないと思えてくることだろう。その役割は、つまらなさそうなので、もっとその役回りに適した凡庸なキャストの方に譲りたいというものだ。私はそんな役回りを演じるには、ちょいと個性的すぎる。
しかしながら、幸いにも私は充分すぎるほどに、貧乏なので、日々働き、その寸暇を縫って読書し、社会の成り立ちと、より良い社会とはどんな社会だろうかと思いをめぐらす。現状に絶望しているからこそ、理想を描くことができるのだ。
将来に理想を描くのは、絶望しているニンゲンの特権だ。
現状に満足している豊かな人間は、夢のような理想を思いつくことなんか出来ないだろう。人生の意味を知っているのは、貧しいニンゲンだけだ。金持ちは、それを想像してみることしかできない。俺の愛するアメリカの酔いどれ作家、チャールズ・ブコウスキーは、そんな様な事を語っていた。ごもっともだと思う。
OK、お金の好きな方々は、存分に国家に尽くしてくれ。ただし、その手の方々が国家を大切にするため、もっと税金を払いたいということはなかなか耳にしない。なかなかそれも興味深い。いずれ、ゆっくりと考察してみるに値するだろう。
しかし、今夜は時間がない。私は貧しいので、自分一人が生きてゆくだけでせーいっぱいなので、明日も疲れ切った身体に鞭打つようにして、早朝から労働という刑罰のような営みに従事せねばならない。ハッハッハ!
まったくもって、貧乏というのも楽じゃない。
しかし、そんなのは相対的なもんで、この地球上には一日1ドル以下で生活することを余儀なくされている人々が何億人といる。その人たちからすれば、私はかつての王侯貴族のように豊かで優雅に暮らしている。そんなもんだ。
私たちは、それらの人々を社会のお荷物として考えるのではく、それらの人々をどう幸せにしてゆくのか考えるべき時代に差し掛かっているのだ。まぁ、所詮私のような貧乏人が考えたところで、どうなるもんでもないがね。はっはっは! 
私は、金の多寡で人間の値打ちを計るような人間を、心底軽蔑する。人間はただ人間であるだけで尊重されるべきだと私は思う。そして、出来うれば、その人間の考えていることや人間性を物差しにしてゆきたいと私は思う。所詮は貧乏人の遠吠えですぎないがね。
ちなみに、私の父は常々、『人間腕が2本、足が2本、これで資本(=四本)充実だ』とほざいている。悪くない心掛けだ。さすがに72歳にして自分よりはるかに若い彼女を持っている人は違う。私もそれで行きたいものだ。ハッハッハ!

読者諸君、失礼する。 

2012/09/07

Post #620 どうしてこうも小忙しいのか

VietNam
歯医者に打ち合わせに、夜は夜とて浜松まで車を飛ばしてひと仕事。明日も明後日も仕事。俺には日曜日も何もカンケーないのさ。家庭サービスがおろそかになっちまうぜ。
まったく、プリントする時間なんてないッたらない。ネガをまじまじ見る時間すらない。どうなってるんだ?まいっちゃうぜ。
まぁ、正直言って、次々予定をぶっこみ過ぎる自分自身の不徳の致すところなんだけれどね。
ベトナムののんびりした男たちのように、日がな一日ぼーっとして暮らす日は来るのだろうか?
読者諸君、忙しいから失礼する。

2012/09/06

Post #619 久々の休日

Paris
昨日の夜遅く、出張から帰ってきて、今日は久々の休日だった。うちのつれあいも会社を休んだので、およそ2週間ぶりにゆったり暮らしたんだ。そう、美術館にいってみたり、買い物をしてみたりしてね。俺は、先日の旅行でしこたま撮ってきたフィルムを行きつけのカメラ屋に撮りに行った。
モノクロ31本、リバーサル4本で〆て2万円ほど。痛い出費だ。しかし、これをデジカメに置き換えるわけにはいかない。俺としては、デジタルの写真とフィルムからプリントした写真は全くの別物なんだ。こだわりってのがあるということだ。こだわりこそ、人生に奥行をもたらすんだ。こだわりの無い人生なんて、去勢された馬のようなものさ。物足りないったらありゃしないぜ。
他にも、パイプ煙草の葉、CDなんかを買ってしまった。いろいろと物入りだ。こだわりの人生も楽じゃないぜ。
そうこうしていると、いつもブログにいちゃもん同様のコメントを送りつけてくる知人から、不愉快な内容文面のメールが送りつけられてくる。昨日の投稿が気に入らなかったようだ。
不快だ。速攻スパムにして処理する。
すると、こいつは俺の痴人、いや知人なんで、俺のケータイに言いたい放題メールを送りつけてくる。昨日の外国人街の話しが心底気に入らなかったようだ。
日本は鎖国すべきだとか時代錯誤も甚だしいことを言っている。適当にイナしておくと、竹島や尖閣諸島の話しを持ち出して来て、中国や韓国とは国交断絶、開戦しかないとか鼻息の荒いことを垂れ流す始末。しかしながら、果たして彼は戦争になった時、自分が最前線で戦うという覚悟があるのだろうか?そんな覚悟もなく、そんなことを言うもんではないだろう。毅然として振る舞っていればいいだけのことだ。感情的になっても、何も解決はしない。それが世の中だ。
しかも、挙句の果てには、政治関係の話題を街角ブログ(なんだそれ?)で扱うのはやめろと、貴重なご意見を賜る羽目になった。
俺は、憲法で保障されている俺の言論の自由を行使しているだけだ。
彼にとやかく言われる筋合いはない。俺は俺の自由(な発言や思考)を妨げようとする人間には、絶対に妥協したくないと思っている。幸い、今の日本では、言いたい事を言ったからといって、特高警察に逮捕され、拷問の挙句に、秘密裏に殺害されることもない。しかし、かつては本当にそんな暗黒の時代がこの日本にもあったのだ。その人々の犠牲のもとに成り立っている言論の自由だ。大切に護らせて頂くぜ。脅しのようなものに屈するわけにはいかない。男がすたるわ。
真っ当な見識を持った人間なら、時に政治的な見解を披歴することも当然のことだと思っている。それが気に入らなければ、俺のブログにアクセスしてくれなくて、一向に構わない。
言いたいことも言えないようなブログなら、さっさとやめてしまおうか。しかし、俺はやめる気はサラサラない。こんな目にあえばあうほど、やる気が湧き上がってくる。知力、体力、能力、識見、それら全てを総動員して俺に挑んでくるがいいと思う。戦闘的な受動性が俺には備わっているのだ。

きっと、こんな手合いの人間が先の大戦の時も、日本は東洋の盟主だ、鬼畜米英をアジアから叩きだして大東亜共栄圏を確立しろという、勝算も出口戦略もない無謀極る軍部の愚行に拍手喝采し、自分たちと意見の異なる者を非国民扱いしたのだろうと思うと虫唾が走る。そして、天皇陛下万歳と唱えて、自分の隣人友人が戦場に送り込まれることを喜び、自分が戦場に行かずに済んだことを、内心で喜んでいたんだろう。
俺は、子供の頃から毎晩のように、今年92歳になる祖母から、戦争によってどれだけ多くの人々が不幸になったか聞かされて育った。
軍人が威張り散らし、言いたいことも言えない嫌な時代だったと、繰り返し聞かされてきた。
戦争に負けて、そんな時代が終わったことがどれほど嬉しかったか、まだ小学生になるかならないかの頃から聞かされて育った。
戦争は人間を不幸にしかしない、それは俺の骨身にしみている。
俺の祖父は、大陸で日本軍の軍馬に与える飼料を扱っていた。戦争商人だったのだ。その屋敷には、当時2000人もの中国人の労働者が住んでいたという。祖父は、中国人に対して傲慢にふるまうことなく、中国人たちとも仲良くやっていた。祖母は、日本の息苦しい雰囲気を嫌い、中国に職を求め、そこで妻と死に別れていた祖父と出会い結婚したという。
戦争が終わった時、祖父母は中国の友人たちから、中国に留まって暮らしていくことも打診されたという。しかし、祖父母は幼い子供たちを連れて、必死の思いで日本に引き揚げてきた。
その後の生活は苦しかったが、祖父は残された子供たちだけが自分たちの宝だと言って、中国で築いた財産や広大な屋敷などには何の未練も示さなかったという。祖父は、貧しいながらも潔癖に暮らし、自分よりも困窮しているニンゲンには惜しみなく金品を与えるような人だった。きっと戦争体験によって、自分の中の基準が大きく変わってしまったのだろう。祖母は、そんなお人よしの祖父に呆れながらも、行商や手内職をして家計を支え、6人の子供を育て上げた。
俺は、そんな祖父や祖母を誇りに思っているんだ。
中国や韓国の人々といがみ合っても、何も解決しない。
問題があった時、感情的になってしまっては、問題の解決はできない。
毅然とした態度で根気よく話し合いを重ねて、お互いが納得したり我慢したりできる妥協点を見い出し、解決を図ってゆくべきなのだ。イタズラに相手に対する憎しみをあおり、過激な行動に拍手喝采し、戦争によって問題を解決しようと考えるなど、愚の骨頂だ。
俺は、人類の歴史の向かう必然として、今日の民族国家という段階はあくまで過渡的なモノであり、いつの日か国家はその役割を終え、世界は大きなブロックに統合され、最終的には地球単位の政府のようなものが出現するだろうと確信している。
それはもちろん、俺達の生きている時代のことではなく、千年単位の未来のこととなるだろう。俺はいつだって、そのはるかな射程を持つ夢のような理想を踏まえて、言いたいことを言っている。近視眼的に言っているのではないのだ。ジョン・レノン先生も言っている。夢かもしれない、その夢を見てるのは君ひとりじゃないと。

そんなメールが来たことによって、俺の貴重な休日は、どこか後味の悪いものになってしまった。
まったくもって、世の中上手くいかないものだ。戦争しても意味ないぜ。
読者諸君、失礼する。