2012/09/13

Post #624 形あるものは必ず壊れる


BudGirl in My HomeTown
形あるものは、いずれ壊れる。当然のことだ。俺の場合は、その頻度が高い。自分でもうんざりする。
前回のインドネシア、シンガポールの旅行でも、2台のカメラを壊してしまった。
一台はデジカメ。結構長いことおもに仕事で使ってきたRICOHのCX1。
こいつは、ジョグジャカルタの王宮で石の床にポロリと落としてしまい、完膚なきまでに破壊された。
ピントの合わないデジカメなど、もはやゴミでしかない。仕事に差し障りが出るので、帰国して速攻、その何世代か後の後継機CX6を購入した。もちろん、経費でだ。痛い出費だった。
もう一台は、長年愛用の今は亡き京セラコンタックスのT3。
2台あるうちの一台だ。モノクロ用とリバーサル用で2台持っていたんだが、リバーサルフィルムの手持ちを使い切ってしまったので、使わない一台をカバンの中に入れていたんだ。カバンの中は安心のような気がするが、人生には往々にして思わぬ落とし穴が潜んでいるものだ。
シンガポールのインド人街にあるホーカース、つまり屋台村みたいなところで晩飯を食った後、うちの連れ合いが飲みかけのペットボトルを持って行ってくれと俺に頼んだ。
手にモノを持つのが嫌いな、俺はそのペットボトルを何の気に無しにカバンに放り込んだんだが、そのペットボトルのふたは、しっかり閉まっていなかったというわけだ。
宿への道すがら、モノクロフィルムを交換しようとした俺は、カバンの中にたぷたぷに水がたまっているのを見て、驚いた。カメラ、水没により故障。ストロボが、ジーっと不気味な音を立てて、光続けている。コンデンサーがイカれてしまったのだ。もちろん基盤も。
これも、帰国と同時に修理に出した。
ゴミにしてしまうわけにはいかない。去年も、池袋で警官に職質された時に、強引にフィルムをひきだしたことで、巻き上げモーターがイカれて、修理に4万円くらいかけた機体だ。
しかも、高級フィルムコンパクトなんて言う20世紀末の遺産など、現行機種ではないので、新しいものを購入するのも難しい。ならば中古でいいものを見繕うという選択肢もありだが、このT3、往年の名機銘玉だけあってか、なかなか最近は中古市場でもお目にかからない。とりわけ俺の愛用しているブラックボディーは、カワウソ並とは言わないが、ゲンゴロウやヨシノボリくらいには絶滅危惧種だ。環境省のレッドデータブックにカメラの項目があれば、記載されることは間違いない。どいつもこいつも使いもしないでしまいこんでいるのか?その気持ちは分かる。しかしカメラは使ってナンボじゃろう?俺に譲ってほしいぜ。そうしたら、俺がガシガシ使い込んであげよう。

さて、今日は携帯電話がぶっ壊れた。今年の3月に、それまで使っていた携帯を、怒りのあまり床に叩き付けて粉砕してしまった時に機種変更して手に入れたばかりのSonyのExperia NXだ。液晶にクラックが入り、画面を見るのに、強力な想像力と、尋常ならざる視覚神経を動員しなければならないという困った有様だ。液晶以外は、タッチパネルも生きているし、音楽の再生も問題ない。もちろん通話は可能だ。それがまた痛恨なカンジをさらにUPさせてしまうんだがね。
仕方ない。俺は最寄りのDOCOMOショップに行き、明後日には自宅に新しい携帯電話が送られてくるように手続きしたんだ。それまで視覚神経と想像力を駆使して、携帯電話を使ってみることにしよう。なに、それもある意味オツなもんだ。負け惜しみのように聞こえるかもしれんが、人生ポジティブに考えないと、ハゲル原因になってしまう。
あぁ~、せっかく今日は久々に行きつけの美容院に行って髪を切り、新しいZippoのライターを買ったり、アマゾンに注文していたCDが届いたりと、いい感じの一日だったってのに・・・。
何だか、がっくりですわ。
そんな液晶画面の大破した携帯電話に、カメラ屋からT3の修理が上がったと連絡が入った。
修理代30702円。
まったく、金がかかって仕方ないぜ。俺はこんな有様だから、いつもからっけつなのさ。人生はままならないモノさ。しかし、まぁ無事になおってよかった。
金は確かに惜しい。痛恨だ。しかしですねぇ、考えても見ておくんなさいよ、今は亡き京セラコンタックスのカメラなんて、そんじょそこらでポンと金だしゃ買えるようなシロモノじゃないんですぜ。これはカメラとの縁があって初めて手にすることができるモノなんですよ。言うたら、自分にお似合いの彼女を見つけるよりも、大変なんですよ。そう、金ならまた稼げばいいんだから、ココは良しとしておこうぜ。なにより俺はこれで貴重な教訓を得たんだからな。
そう、ペットボトルのキャップはしっかり締めろってことだ。

しかし書いてるうちになんだか俺の人生って、どうにも底の無い柄杓で水を汲む船幽霊みたいだって思えてきたよ。
読者諸君、失礼する。俺はちょいと落ち込んでいるが、懲りちゃいないぜ。

2012/09/12

Post #623 Fast Car Loud Music

HomeTown  BMW Z4 俺の一番好きな車
さてと、今から2,3時間眠ったら、車を飛ばして静岡まで仕事に出かけるんだ。
お気に入りのロックをデカい音で鳴らしながら、アクセルを踏み込んでいくのさ。音圧で思わず胸がドキドキするようなヴォリュームでThe WhoやJeff Beckを聴きながら、高速道路を走り抜けていくのさ。
そうすると、いつも俺は車に乗って移動しているんではなく、音楽そのものに包まれて、大地を疾走しているように感じる。きっと、とんでもなくアドレナリンが出ているんだろう。
サイコーに気分がイイんだ。いつか交通事故で死ぬんじゃないかって予感すらするぜ。

読者諸君、失礼する。4時30分には家を出なきゃいけないんだ。あと3時間ってところか、こんなことしてる場合じゃないな。さらば。

2012/09/10

Post #622 重力について考える夜

昨日は遅くまで働いた。
本来は今日は朝のうちに打ち合わせに行くだけにして、午後はプリントする気満々だったのだが、仕事が入ってしまったんだ。いったいぜんたい、何時になったらゆっくりプリントできるのか。きっとすっかり涼しくなってからだろう。
Barcelona
夕方、家に帰ると、ふと気になって中上健二の小説『地の果て 至上の時』を本棚から引っ張り出し、読み始めた。没後20年、既に中上健二は過去の人も過去の人だ。しかし、彼の突きつけた課題に堪えることなく、時代はかる~く過ぎ去ってしまった。
人びとから畏れられる男の子として生まれた主人公・秋幸は、本作に先行する『岬』で異母妹を犯し、それに続く『枯木灘』で異母弟を石で殴り殺す。そして、3年間の服役の後、故郷(そこは路地と呼ばれる紀伊半島の被差別部落だ)に還り、自らの服役中にすっかり様変わりした故郷の路地を見る。そこから、物語が始まるのだ。うう、まるで現代を舞台にした神話か英雄譚のようだ。
硬質で美しい文章だ。こんな文章を読むのは、久しぶりだ。眠さも疲労も忘れてぐいぐい引き込まれる。心が硬質な結晶に純化するように感じるほどだ。
扱うテーマ、主人公と彼を巡る登場人物たちの葛藤、どこを切ってもヘヴィーだ。文章に、ズシリとした重力を感じる。
そう、重力だ。軽やかさなどとは無縁。泥臭い方言を語る登場人物たちは、誰も皆心の奥底に狂気を秘めているようにすら感じる。その狂気の源は、むろん主人公たちに流れる路地の血、即ち非人として差別され続けてきた被差別民の血に起因することがわかる。
今時の小説が、ちゃちな安物にしか見えなくなってくるような重さが、文字の羅列から立ち昇ってくる。当節流行のライトノベルなど、文学に値しないということがよくわかる。
しばらくは、久々に中上健二を読んでみるか。なに、俺は中上健二の全集を持ってるんだ。チョイと持ち運ぶのには重たくて不便だが、なに構うものか。そこに描かれる世界のほうがはるかに重たい世界なのだ。
そして重たい=質量を持つ者は、その重力によって周囲のものを惹きつける。
鬼才・若松孝二監督によって、中上健二の絶頂ともいえる『千年の愉楽』の映画化が進んでいるという。これも、路地を舞台にし、オリュウノオバという産婆の老婆を語り手に、自らに流れる路地の血に翻弄されるように、激しい人生を送り、しかも生命の絶頂期に命を絶たれていった路地の男たちを描いた現代の神話のような作品だ。楽しみだ。ぜひとも見てみたいものだ。
うう、そしてこれもまた無性に読みたい。
意外なことに、写真にも、重力がある。ブラウザーの上を軽やかに飛び交うデータとしての写真ではなく、実際のモノとして数百枚の写真を手にすると、ズシリと重たいものがある。そして、それを一挙に何十枚、何百枚とめくってみてみた時、写真のはなちゅ重力を感じることだろう。写真は、プリントしてなんぼなのだ。
俺の写真を見てくれる君が、もしも俺の写真から、俺の暗く沈んだトーンの黒々とした写真から、重力のようなものを感じてくれたなら、これに過ぎる幸せはないだろう。魂は決して見えないが、それには重さがあるのだから。そしてそれはお金で買うことはできないんだ。
読者諸君、失礼する。