2026/04/05

POST#1810 我に奇計在り

犬山、犬山祭

 この「天皇ナショナリズム」による独立自尊を成し遂げた後の日本は、「民主主義国家」としての形態を維持できるだろうか。

それとも、全く別の新しい統治形態へと変貌してしまうのだろうか?
一つだけ言えることがあるとすれば、この同調圧力世界最強のこの国の民は、ひとたび結束すると恐ろしいほどの力を生み出す。その力をどう制御して大国のスーパーパワーに対峙してゆくかだ。
さてそこで、俺の奇計機略、いやむしろ陰謀だな、それは一言で言えばこんなもんだ。

  

国内に複数の大国の基地を抱え込みながら、天皇ナショナリズムを核にした永世中立国化

加えて核アレルギーを克服して、IAEA体制から脱退し、核武装することすらも選択肢とする。これはもちろん、日本が世界で唯一の被爆国だとわかったうえでの覚悟を持った発言だ。

非難されても仕方がない。俺だって、原子力発電だって反対だし、核兵器が廃絶すべきものだと重々承知している。どれだけ非人道的で恐ろしいものか、日本人としてわかっていないはずがない。ほとんど憎んでいる。

しかし、その悪魔の兵器を持っている国だけが、国連の常任理事国だ。

考えても見てほしい。それらの五大国は人類を殲滅させ得る悪魔の兵器を持ちながら、世界を取り仕切ってる。世界の人々が力を合わせるべき時に、その地球を滅ぼしうる軍事力を緒担保にして、自らの都合と思惑で拒否権を行使する。あまりにも不公平だ。

いざというときに、自分の国の民が原子爆弾の閃光で写真のように焼き付けられ、顔は焼けただれ髪の毛抜け、血を吐きながら死んでいく。そんな最悪の事態を避けるために、本来核兵器など、どこの国であろうと所持するべきではない。

人間が手にしていいものでは、ない。

しかし、この国をアメリカの51番目の州にも、中華人民共和国の24番目の省や6番目の自治区にしたいためにも、ロシア連邦の22番目の共和国にさせないためにも、そして何より日本を真の独立国として自立させてゆくためには、必要悪だ。

 「天皇」という伝統的権威を統合の象徴に据え、同時に「核武装した永世中立国」を目指す。これは、戦後日本が歩んできた「対米従属下の平和主義」を根底から覆し、19世紀的な主権国家の強さと、現代的な地政学的リアリズムを融合させた極めて過激で純粋な独立論です。

この構想を実現するためには、これまでのタブーを全て破壊する「三位一体」の転換が必要になります。

1. 「核アレルギー」の克服と核抑止

IAEA(国際原子力機関)の体制から脱退し、独自に核武装することは、国際社会からの猛烈な制裁を覚悟する「真の独立」を意味する。

北朝鮮は、ほとんど鎖国状態だ。金王朝ともいうべき閉鎖国家だ。サダム・フセイン率いるバース党が統治していたイラクは、核武装しようとしているという根拠不明の情報だけで攻撃され、フセインは隠れ家から引き出され、アメリカで裁かれ死んだ。しかし、イスラエルは持っているとも持っていないとも明言しないが、かなり前から手にしているようだ。インドとパキスタンも持っている。北朝鮮も実質的には保有国とみなされてる。

日本が核兵器を持とうとした途端、猛烈な反発が世界の国々、とりわけアメリカは反発するだろう。

そこで物理的な担保が必要だ。実は日本はプルトニウムを大量に保有している。理論上は短期間に数先発の核弾頭を作れるだけの量を持っているんだ。また固体燃料ロケットの技術は、容易に大陸間弾道ミサイルに転用可能だろう。思うに実は世界で一番核兵器に手の届くところにいるのは日本ではないだろうか。イランなんか目じゃないぜ。

中露の基地を受け入れる「ジブチ方式」を採用するにせよ、自らが核という「究極の拒否力」を持たなければ、大国間の単なるチェス盤にされてしまうだろう。そいつはごめんだ。

ナショナリズムの昇華: 唯一の被爆国である日本が核を持つという矛盾を乗り越えるには、「二度と踏みにじられないための聖断」という強力な精神的支柱(天皇の権威)が必要不可欠になるんだ。

2. 永世中立国という険しい道

スイスのように、中立とは「何もしないこと」ではなく、「誰の干渉も許さない武装」を意味する。

スイスは中世から近代にかけてヨーロッパ全域に傭兵を派遣する傭兵国家だ。500年以上前から今日まで、バチカン市国の衛兵はスイス人傭兵だ。

スイスは永世中立国として、国民皆兵を掲げる。原則として20歳から30歳の男性スイス人国民には徴兵に応じる義務がある。おおよそ1年ほどを軍人として訓練や配備で過ごすんだ。病気や体力のなさなどで徴兵に応じられない人は、37歳まで所得の役3%に当たる『兵役免除税』を支払うんだ。険しいな。

しかし、俺たち日本人にその覚悟はあるか?たとえそれが、張子の虎だとしても。

多極化のバランサーとして

俺たちは日本人はなぜか憲法に関してはアメリカから押し付けられたというくせに、日米安保条約については口を閉ざす。言わぬが花か。

今もそのおかげで苦しんでいる人はたくさんいるのにだ。かつて60年安保闘争を戦った世代は、すでに高齢化でそのほとんどが世を去り、70年安保を会見した世代も、安逸な老後の暮らしを守りたいだけだ。

まず、戦後日本の矛盾の根源たる日米安保条約を破棄し、アメリカ軍基地を縮小したとしよう。そして今までアメリカ軍の基地が担っていた安全保障の代わりに、先日も君たちにプレゼンしたように、日本の領土内にアメリカの仮想敵国である中華人民共和国や、ウクライナを舞台にだましあいの代理戦争を演じているロシア連邦の基地を国内に受け入れる。

もちろん、思いやり予算なんてのは廃止だ。なんでいつまでも居座り強盗にべしを出すような真似をしなきゃいけない?当然、それぞれの国から莫大なショバ代を頂戴することにしよう。金には色はついてないからな。ドル覇権はいずれ終わるから、元建てでもルーブル建てでもいいぜ。アメリカがとち狂った今、明らかに世界は多極化に向かっているんだ。

どの国にも偏ることなく、アメリカと距離を置くと同時に中露とも一定の距離を置く。

この綱渡り外交を支えるのは、米中いずれにも属さないという「天皇の不可侵性」と「核の抑止力」のペアしかない。それがなければ、あっという間に日本の国土は、広大な中国の民が戦乱で三分の一以下になったという三国志状態だ。

3. 国内統治の変容

この道を選んだ場合、現在の「戦後民主主義」の枠組みは維持できないかもしれない。しかし、俺としては『政府国体のために国民があるのではなく、国民一人一人の命を尊重し、国民の尊厳を守り、国民を豊かにする』という至極まっとうな理念を堂々と掲げられないような政府など、一度大幅にリフォームしてゆかねばならないだろうと痛切に感じている。

有事体制の常態化

この時、一時的な国際的孤立と経済制裁に耐えうる「高度に統制された経済」と、国民の強い団結が求められるだろう。外交交渉を進めて話がまとまるまでの間、最低限の国民生活を維持するためのス減の備蓄や調達ルートを検討しておくべきことは論を待たない。

新統治形態

議会制民主主義を残しつつも、実質的には天皇を精神的頂点に戴いた「挙国一致的な防衛国家」へと変貌を遂げることになるだろう。日頃、俺のようなリベラルな意見の持ち主がこんなウルトラナショナリズムのような構想を抱いているのは、現状に対する強い危機感からだ。

日米同盟こそが外交の基本で、アメリカについてゆくしか日本の選択肢はない、いざとなったらアメリカが守ってくれるなどというのは、究極の脳内お花畑思考だ。

現に、現在イランを中心とした中東で生じている状況は、混沌としている。

アメリカ軍の基地があるがゆえに、UAEやサウジアラビアは攻撃され、インフラにも多大な損害が出ている。これらの国の莫大な富の源泉である石油自体も採掘生産の停止を余儀なくされている。そして何より、今のアメリカはかつてのアメリカとは違う。予測不能で世界最大規模の攻撃力を持つ予想不能な好戦的出たとこ勝負国家だ。俺ならば、こんなやつをパートナーとして信頼はしない。ファシストやコミュニストのほうが、次の行動が予想しやすいだろう。

挙句の果てのはさんざんイランを攻撃しておいて、あとは野となれ山となれ、みんな石油は自分の力で取りにけ、機雷掃海は日本がやってくれるだろうという呆れ果てた無責任さ。そして何より、かつて世界の警察官を自称していたアメリカは、今やアメリカファーストだ。日本のことなんか守ってはくれない。それは政治家以外の日本人はみんな知っている。

対米一辺倒はもう賞味期限切れだ。

そして、永世中立国として世界のミドルパワー国家と連携し、国際法を遵守した主張を堂々と繰り広げる。グローバルノース、グローバルサウスのHUBとして公正で信頼のできる、それでいてしたたかな国家として『世界の真ん中で咲き誇る日本外交』を繰り広げる。

結論を言えば、このシナリオは、日本が「アメリカの搾取」と「中国の脅威」から同時に脱却するための、文字通り最後にして最大の大バクチだ。

それは日本人のアイデンティティを根底から書き換え、世界の力学を完全に変えてしまうインパクトを持つ。

しかし、これを実行に移すためには、現在の「絶望感に沈む国民」が、飢えや制裁を覚悟してまで「真の自立」という重い十字架を背負う覚悟があるかどうかにかかっている。

こうした「核武装した中立日本」が誕生したとき、隣国である中国や北朝鮮、そして裏切られた形となるアメリカは、果たしてそれを静観するだろうか?

それとも、誕生する前に物理的に潰しにかかるだろうか?

君はどう思う。俺は確実に潰しにかかってくると思う。

君ならどうする?俺は本当は、こんな社会はごめんなんだけど、もっとひどいことになるくらいなら、自分の手を汚すことも厭わないし、きれいごとだけで済ますつもりもない。

2026/04/04

POST#1809 我に奇策あり


さて、前々回の続きだ。 この自らの掌のうえで「大国を競わせる」という前代未聞の国家戦略を進めるにあたって、決して大国に蚕食されてゆかないような日本国内の「独立自尊」の機運をどのように高めていくべきだろう。

我に奇策あり。
ここは一丁、日本政治最大の禁じ手、『天皇ナショナリズム』を利用しますか。

日本政治における究極のカードだ。男系男子じゃないと天皇を認めたくない自民党、男系女子でも構わないという中道改革連合。オリイも中道改革連合の小川代表が、自分が生きてるうちに女性天皇を見てみたいといって、発言撤回そして謝罪してたな。なぜ謝罪しないといけないのかよくわからんが、俺なら自分は200歳まで生きるつもりだからといって、うまい事はぐらかすだろうな。
だいたい保守派の言う伝統ってのは、いつだって明治憲法が基準で射程距離が浅すぎる。推古天皇🔗持統天皇🔗とか、飛鳥時代、奈良時代などは時代の節目に女性天皇🔗が即位しておいでだ。ある意味、この国の抜かずの宝剣のようなお家芸のはずだ。江戸時代にも女性天皇の御即位の例が二例もある。
正直言えば、自分としては天皇制が本当に必要なのか。憲法の定める人権を享受しえない国家の象徴として生きることを、自ら選ぶ選ばざるに関わらず生まれ落ちた瞬間から担わされる不自由な人間の存在を認めることは、まったく本意ではない。
一人の人間存在として、あまりにも過酷な人生を送ることを運命づけられておいでで、お労しい限りだと不敬ながら思わずにいられないのだ。
加えて、権力闘争のトロフィーのように扱われ、下々の庶民の敬愛と余計なお世話な好奇のまなざしにさらされ続け、報道によって毀誉褒貶にさらされる。
本来稲作農耕司祭王としての性格が濃厚な天皇陛下という存在自体が、すでに農業が国の基盤を担えなくなっている今日では、すでに不敬な言い方ではあるが、天皇制は時代とともに変貌してしまった日本の下部構造、つまり経済や大衆文化にそぐわないのかもしれない。
週刊誌に消費されるコンテンツにされてしまっているようにも見えるし、その不敬に国民自体が気づいていないのが悲劇的ですらある。

しかし、俺は天皇というアジアに広くみられる一種の生き神信仰(ダライラマとか、ネパールの処女神女クマリもその系統に連なるだろう)の持つ巨大なポテンシャルの存在を信じている。そして畏怖畏敬しているんだ。

日本の歴史において、国家の危機や体制の劇的な転換期に「天皇」という存在がレバレッジ(てこ)として使われてきたのは厳然たる事実だ。
俺は自分自身が掲げている、人間が長い闘争の末に取り戻した平等性と、個々の人間に備わった尊厳を等しく尊重するという方針は、不本意ながら一旦措く。
そのうえで、日本の閉塞状況を打ち破り、転回させる唯一のツールとして「天皇ナショナリズム」を利用するべきだと提言する。
自民党のセンセー方や日本会議なんかの右派団体の皆様なんか目じゃないほど、皇室のお方々に働いていただく。

もちろん、「天皇ナショナリズム」を独立自尊のために利用するという戦略には、凄まじい爆発力と、同時に制御不能なリスクが同居しているのは承知の上だ。
これを掲げた私たち日本人が、広くアジア諸国の皆さんに謝罪すべき過ちを犯したことも重々承知している。しかし、どう考えても、日本人の統合の象徴として一般意思🔗をその御身に体現し、銀河系の中心にある巨大ブラックホールのように日本という国家の中空の核として立ち、強力な向心力を国民に及ぼすことができるのは、ただ天皇陛下お一方しかおいでにならない。

1. 「対米従属」を断ち切る唯一の権威
現在の日本において、憲法や日米安保条約、さらには戦後民主主義の枠組みを超えて国民を一つにまとめ、既存の統治システム(官僚機構や親米政治)をリセットできる唯一の「正統性」は、理屈抜きで天皇という存在にある。
これはもう理屈じゃない。国民の間にある、一種の宗教なんだ。

「国民の象徴」としての決断
天皇陛下が「日本の自立と平和」を直接的に示唆なさるだけで、戦後80年以上の対米追従のロジックは一瞬で無効化される可能性がある。
しかし、政治学者の白井聡🔗が主張しているように、わが国の「国体」における天皇の至上性は、戦後アメリカによってとってかわられたという見方もできる。国民統合の象徴がアメリカ合衆国という奇妙によじれた状況だ。アメリカの政権が共和党であるか民主党であるかにかかわらず、日本の政権がアメリカに従属し続けているのがその証左だ。
このポジションを、日本人の手に取り戻し、衰退してゆくであろうドル覇権と圧倒的な武力で意にそわない国を攻撃し続けるならず者国家と心中することを避けるためには、陛下の「御聖断」を仰ぐしかないだろう。

2. 多極化外交の「重石」としての権威
中露の基地を受け入れるような極端な等距離外交(ジブチ方式)を進める際、国内は激しい分断に見舞われることが容易に予想されるだろう。
その混乱を抑え、「これは日本が生き残るための聖断である」という空気を作るには、政治家レベルの言葉では絶対に不可能だ。今は亡き安倍晋三が1ダースいたところで、予算案一つ年度内に通せなかった早苗ちゃんがどれだけ頑張ったところで、無理なものは無理だ。
畏れ多くも天皇陛下という歴史的権威がその背後に透けて見えることで、保守層も含めた国民の納得(あるいは沈黙)を引き出す装置になり得る。

3. 歴史の再現とリスク
かつての「尊王攘夷🔗」も、アメリカ、ロシア、イギリス、フランスといった欧米列強の外圧に抗うために天皇の権威を利用し、古い幕府体制を破壊し殲滅し転換した。しかし、この手法には大きな危うさもあるのは、皆様ご存じの通りだ。
まずこれは扱いを誤ると自らの首すら切り落とす諸刃の剣だということだ。
ナショナリズムが一度火を噴けば、それは国民の選民思想的な幻想を燃料にして燎原の火のように燃え広がり、火をつけた当の本人たちも巻き込み焼き尽くしてしまう業火となるだろう。
そうなってしまえば、「対米自立の等距離独自外交」という冷静な計算を超えて、排外主義や暴走した軍国主義に繋がりかねない。
それが幕末から明治大正昭和を経て、大東亜戦争=太平洋戦争へと至る私たち日本人が歩んだ道のりだった。俺自身はその歴史を誇る気持ちなどさらさらないが、右派的な世界観では大っぴらには言えなくてもそれこそが我が国の栄光の歴史だと認識されていると俺は考えている。彼らは万世一系の天皇を中心にした長子相続家父長制の神の国に戻したいんだ。
我々は、二度とその道を歩むわけにはいかない。
(そもそも家父長制も、長子相続性も、夫婦同姓もプロイセン(今のドイツね)をモデルにして作られた明治憲法を通じて生み出されたものだ。日本古来の伝統でも何でもない。それはここに言い添えておく。)

さらに大日本帝国の明治憲法と違い、日本国では、天皇陛下は国民の統合の象徴である。
 ここで付言させていただく。
 俺は大日本帝国と日本国は憲法が違うんだからこれは本当は違う国家だと考えている。
 国家のOSである憲法が大きく書き換えられている、というか全く別物になっている以上、同じ国ではないんだ。
 会社の定款が違ったら、それは別法人だろう。
 日本国という法人は、日本国憲法という定款で、破産廃業した大日本帝国の社員=国民を再雇用して作られた別法人なんだ。
 もっと平たく言えば、異なるOSを採用しているWindowsとMacが、同じパソコンだ言う人はいないだろう。
 この両者は全く似て非なるものなのだ。
ここをしっかり踏まえておかないと、国民統合の象徴たる天皇陛下の政治利用を不敬を承知で試み、国民の安寧のためとはいえ陛下を政治闘争の道具にすることは、皇室そのものの存続を危うくする賭けでもある。しかし、現状では皇室の血統を維持していくのはかなりの困難が予想される。
同じように存続が危ぶまれるのであれば、俺は未来を開く方向へと陛下をはじめとした皇族の御皆様方に踏み出していただきたい。


結論として、アメリカという「外圧」と、中国という「現実」に挟まれた今の日本で、骨までしゃぶられ続ける現状をひっくり返すには、「戦後という枠組み自体を終わらせる儀式」が必要なのかもしれません。
その中心に天皇を据えることは、日本にとって最後の、そして最も危険な独立手段と言えるだろう。
しかし、考えてみてほしい。ナショナリズムといって左派の良識派はしばしば妖怪に出くわしたかのように震え上がるが、ナショナリズム無しにまとまっている国家、独立を果たした国家があるだろうか?なんだかこれじゃ、マルクスの共産党宣言🔗に出てきた共産主義という名の妖怪みたいだな(笑)
「一つの妖怪が日本を徘徊している――天皇ナショナリズムという妖怪が…」ってところか(笑)
俺自身は国家とは、ざっくり言って一般意思に基づく憲法という契約によって成立する法人だと考えている。その一般意思を表明する人々をどこで線引きするかといえば、まぁナショナリズムに基づくアイデンティティーしかないのではなかろうか。マイナンバーカードやパスポートなんていうのは、支配管理のためのツールに過ぎないからね。

この「天皇ナショナリズム」による独立自尊を成し遂げた後の日本は、「民主主義国家」としての形態を維持できるだろうか。
それとも、全く別の新しい統治形態へと変貌してしまうのだろうか?
一つだけ言えることがあるとすれば、この同調圧力世界最強のこの国の民は、ひとたび結束すると恐ろしいほどの力を生み出す。その力をどう制御して大国のスーパーパワーに対峙してゆくかだ。

我に奇計あり つづく

2026/04/03

POST#1808 今日は西行忌

 

家の真ん前の小学校の桜 この木を見てこの家を買うことに決めた
昨日と今日は真清田神社の祭礼だ。桃花祭🔗という。
昨日は俺の町内で、祭りの一環としてこども獅子の引率をしたんだ。何しろ俺はこう見えて子供会の副会長だからな。祭壇を設け、神饌を供え、鐘の音と拍子木でリズムをとりながら町内をすすむ子供たちの獅子を引率するんだ。これは思うに町内の祓い清めなんだ。
鈴の余韻のある澄んだ音で、獅子の威容で町内の罪穢れ諸々の禍事を鎮め治める大切なものだと俺にはわかってる。だから、子供たちの健やかなること、町内の皆様の安寧をおもいながら務めを果たした。
前日まで降り続いた雨にも耐え、桜は咲き誇っていた。

願はくば
花の下にて春死なむ
そのきさらぎの望月のころ

そして今日は旧暦で西行🔗の命日にあたる二月十六日。
ちなみに昨日は旧暦二月十五日、お釈迦様の命日とされる涅槃会だ。
若いころ、如月、つまり2月の15日に桜が咲くとは面妖なことだと思っていた。2月の半ばなどまだまだ寒さ厳しい季節だ。こんな時期には寒椿しかなかろうにと思っていた自分の不明を恥じるばかりだ。そう、旧暦のことが全く頭に入っていなかったんだ。
温かく、桜が咲き誇るこの時期なら、あの世に行くには本当にもってこいだ。

ちなみに、鳥羽院に仕える武家のエリート北面の武士であった佐藤義清は、同僚の死を契機に出家遁世し、山中に草案を結んだ。出家しようとする自分の足に縋り付く子供を、縁側から蹴落として出家した話は印象に残っている。ちなみに、同時期の北面の武士には平清盛も名を連ねていた。時代感覚がわかってもらえるだろう。

山河を跋渉し、数多の歌を詠み、桜の花を愛でた西行は沙羅双樹の花の下にて死んでいった釈迦のように、桜の花の咲き誇る時期に死ぬことを願って先にあげた歌を詠んだ。
そして、その願い通りに、如月十六夜の日に世を去った。

まったく、出来すぎだな。

ちなみに西行を慕っていた高杉晋作🔗は、東則ち幕府を倒しに行くという決意と西行をもじって東行と称していたそうだ。

その高杉晋作の詠んだ辞世の句は

おもしろき 
こともなき世を おもしろく
すみなすものは 心なりけり

27歳で亡くなる直前、病床で「おもしろきこともなき世を おもしろく」と書き、下の句を看病していた野村望東尼が付け加えたとされている。

面白くない世の中を、面白くするのは自分自身の心持ちだな。俺は君たちが考え付かないようなことを日ごと夜ごとに考えているのさ。例の奇策は明日また話そう。仕事の書類を作らないといけないんだ!