2011/05/04

Post #173 Photographica #6

俺の乏しい経験では、トルコを含めてヨーロッパでは、何処に行ってもジプシーの姿を見かける。本場は中東欧のようだ。最近ではジプシーは、その呼称自体が差別的だってんで、ロマって呼ばれることの方が多い。インドを源にして、ヨーロッパにやってきた非定住民だ。1000年ほど前に、初めてヨーロッパに現れたころ、彼らがエジプトからやってきた巡礼者を称していたことから、ジプシーと呼ばれていたんだが、そのライフスタイルにより、ながらく差別されてきた。独特のファッションなのですぐにそれとわかる。最近では、フランスのサルコジがロマを国外に追放したりしている。
Izmir,Turk
俺は、ずいぶんと長い事フランスのジタンってタバコを吸っていたんだが、このジタン(正式にはジターヌ)ってのが、フランス語でジプシーの事を意味している。パッケージには、踊るジプシー女性の姿が描かれている。独特の香りで、周囲には評判が悪かったが、そりゃ旨いタバコだ。
然し、ひと箱460円ともなるとね…。

1960年代のチェコスロバキアに、ジプシーのドキュメント写真を撮る若い写真家がいた。彼はもともと技師の仕事の傍ら、演劇関係の写真を撮影していたんだが、ジプシーと知り合って、徐々にその魅力にひかれ、自らの被写体に選んで行ったようだ。
その写真家の名はジョセフ・クーデルカ。
彼は知り合いの写真評論家がベルリンに行くので、そのついでに自分が使っていた東ドイツ製の一眼レフカメラ、エキザクタ用に35㎜の広角レンズ、Carl Zeiss Jenaのフレクトゴンを買ってきてくれるように頼んだ。フレクトゴン、その名前からしてミラーがボディーの中で動く一眼レフカメラで使用可能な広角レンズだとわかる。西側のZeissではディスタゴンに相当するだろう。
生憎、その知人はベルリンでフレクトゴン35㎜は在庫切れで手に入れることが出来ず、代わりに同じフレクトゴンの25㎜F4を買ってきた。
これが、クーデルカの写真を決定づけることになる。想像してほしい。慢性的な物資不足の1960年代の社会主義国で、手に入れることのできるレンズは、実に少ない選択肢しかなかっただろうってことを。決してレンズなんて、その辺りにより取り見取りでごろごろ売っていたわけではないだろう。それに、レンズも今の感覚よりもはるかに高価なものだっただろう。クーデルカにとって、25㎜を使うことは、予期しない選択だったんだろうが、これが結果的にいい結果をもたらしたんだ。

写真を撮っている人ならば、35㎜と25㎜では描写がゼンゼン違うことがすぐにわかるだろう。俺は専ら35㎜専門だけれど。ホントにまったく違う。同じものを撮っても、まるで違う写真になってしまうだろう。
これを田中長徳氏は、その著書の中で「彼の写真集を見る限りでは、そのドラマチックな人物像と、まるで宗教画のように背後に広々と広がっているチェコの光景というのは、これは35ミリのドメスティックな視覚では、到底表現することができなくて、25ミリレンズのその遠近感を強調したややエキセントリックな視覚の中に、クーデルカが表現しようとした写真の真実が込められている…(以下略)」と評している。
クーデルカはこのレンズを使い、名作『ジプシー』をモノにするわけだ。

67年にプロの写真家として独立したクーデルカは、ルーマニアにジプシーを追っていた。この取材を終えてチェコの首都、プラハに帰った翌日の1968年8月21日、事件は起こった。
ソヴィエト軍を中心としたワルシャワ条約機構軍が、チェコで進行していた『人間の顔をした社会主義』を標榜した解放政策『プラハの春』、つまり今でいう自由化政策を、その圧倒的な武力を以て威嚇・圧殺するために、予告なしで大規模に侵攻したのだ。

この一部始終を、当時30歳のクーデルカが、ひとりのプラハ市民の目線で記録した写真集、それが先日買ってきた『ジョセフ・クーデルカ プラハ侵攻1968』(平凡社刊)だ。
『ジョセフ・クーデルカ プラハ侵攻1968』平凡社刊
クーデルカは、世界でも最も美しい街の一つとされるプラハの大通りを埋め尽くすように、隊列を組んで走る戦車を撮影している。そして、戦車に投石したりして抵抗する市民の姿を、余すところなく捉えている。戦車に乗る軍人に対して、抗議する群衆。自らの行いに道義性がないことを知っているがゆえにさえない表情のソ連兵たち。そして市民の圧倒的な言葉による抵抗は、圧倒的な武力すら無力化してしまう。犠牲になった者の葬列、抗議のデモ、街頭を埋め尽くすように書かれた風刺のきいた落書き、ソ連兵士の方向感覚を狂わせるために町中で消された標識。

それらは、交戦するどちらかの陣営とともに動き、ともすればイデオロギーの代弁者になってしまう戦場写真とは、一線を画しているように感じられる。俺がそう感じる理由は、他でもない、クーデルカ自身が一人のプラハ市民、つまり当事者そのものであり、なおかつ軍事的な何ものにもサポートされていない、一人の写真家として、目の前に起こる出来事に対峙しているという点だ。強いて言えば、彼はプラハ市民に、そして歴史そのものに、その証人となることを強いられた存在なのだ。決して、プロパガンダではないし、単なる野次馬根性でもないぜ。しっかりと地に足がついているカンジだ。25㎜で、このように撮影するには、どれほど被写体に肉薄していたことだろう。白い望遠レンズで安全なところから取っているわけではないのだ。
クーデルカは決して政治的な写真家ではなかったそうだが、この時、プラハでは誰もが政治的でいられずにはいられなかったと、後年語っていたそうだ。
この写真は、ひそかに国外に持ち出され、マグナムによって1年後世界中に配信された。しかし、その危険性から撮影者は匿名とされた。そして匿名のままで、この写真はロバート・キャパ賞を受賞した。クーデルカ自身も1970年に亡命し、マグナムに加入する事となる。クーデルカ自身が、この写真の撮影者であると明かしたのは、祖国で暮らす父親が死んだ後1984年であり、彼が祖国の土を踏んだのは、実に冷戦終結後の1990年だったそうだ。

この写真集には、およそ250枚の写真がおさめられている。そのほとんどが、未発表のプリントだ。見ごたえがある写真集だ。全編に写真への覚悟が漲っているぜ。そして、圧倒的な暴力に対して、どう戦えばよいのかということについても、大いに示唆を与えてくれると思うぜ。

読者諸君、これはいい写真集なんだ。4000円を握りしめて、近所の本屋に向かってくれ。連休はまだしばらく続く。家でまったりしながら見てみるとイイだろう。そして、平和ボケしていられる幸せを噛みしめるのさ。
OK、今日はこのくらいで。そろそろ仕事に行かなけりゃならないんだ。仕方ないな、まったく。

2011/05/03

Post #172 Fragment Of Amsterdam #3

読者諸君、連休いかがお過ごしであろーか?高速はどこも大渋滞だ。こんな日はお家で大人しくしているに限るぜ。とはいえ、近所の親戚の家でバーベキューをごちそうになり、甘くてコクのあるドイツビールをしこたま飲んできたけどな。こんな日は、屁理屈をこねたりしたくないのさ。
そんなわけで、本日はあっさりと行かせてもらおうかな。たまには、こんなのもお互い肩がこらなくていいもんだな。
アムステルダムの人気フライドポテト屋で。
基本、立ち食い、もしくはその辺の家の入口の階段に座ってもぐもぐしてますな。フライドポテトにマヨネーズがてんこ盛りで、手がべっちょべちょになります。
Amsterdam
もう一発行くかい?
Amsterdam
この渋いおっさん、ポテト喰いながら何やら上を気にしてるぜ。ふふふ…、賢明な読者諸兄諸姉はお分かりだろーか?
Amsterdam
そう、おっさんが気にしてるのは鳩だ。
とはいえこの鳩、おっさんからポテトをくすねようって訳じゃないんだが、そう、ハトはクソをするんで、おっさんかなり警戒してたぜ。全く奴らときたら油断も隙もありゃしないぜ。
俺はおっさんと目があったんだが、おっさんはにこりと笑い(たぶんホモじゃないと思うけどね)、ゼスチャーで俺にその脅威をアピールしてくれたぜ。俺たちは互いにゲラゲラ笑ってたんだが、この数日後、パリの名所サクレクール寺院で鳩にクソをかけられる運命が、他でもないこの俺を待ち受けていたとは…、この時は夢にも思わなかったぜ。人生、何処でどんなトラブルに巻き込まれるか、わからないもんだ。ま、所詮鳩のクソ程度、屁でもないがね。
なんだか写真が文章の挿絵のようになってしまい、俺としてはなんだか写真に悪いなってカンジだが…。たまにはね、悪くないだろう。なんだかドラマチックなカンジがしないかね?あ、しないのね。

読者諸君、また会おう。明日は連休中にも関わらず夜仕事が入っているんだが…、また昼間プリントでもしようかと企画中だ。

2011/05/02

Post #171 5月2日は、俺には特別な日さ

連休中日、残っている仕事などさほどあろうはずもなく、銀行に行ったり、取引先に何件か電話をしたりして、俺の半日は過ぎていったぜ。そんな中、出勤していた俺の連れ合いからメールが入ってきた。『ビン・ラディンがアメリカに殺されたらしいよ。また世界が動く』
40分もの銃撃戦の末に殺され、遺体は何処の国も引き受けを拒んだため、海に葬られたという。無残な話だ。まぁ、墓地があれば、そこが新たな聖地になってしまう可能性があるから、仕方ないだろうが…。
おもえば、あの9.11の時も、俺は仕事中に落とした家の鍵を探しに、晩飯を食ってから何十キロも離れた町に出かけていた。で、飛行機がビルに突っ込んでいるって電話を連れ合いからもらって、お前、なんか変な映画でも見てんだろうって呑気に言っていたっけ。あれからもう10年近く過ぎたのか。早いものだ。
Amsterdam
しかし、今日がビン・ラディンの命日になったところで、何ほどの事もない。俺にとってはね。
殺し殺される憎しみの連鎖がまたつながるのだろうか。それを想うと何ともやりきれない気分になるが、そういえば『ナルト』でもそんな話があったな。
また、こんな事を書くと、きっと世間様から平和ボケした日本人扱いされてしまうが、なぁに構うもんか、平和ボケしていられることは、実に幸せなことなんだぜ。

いやいや、今日は俺にとって特別な日なんだ。なんせ今日は、忌野清志郎の命日だからな。

俺はあの時、親戚のおじさんが死んでしまったような、寂しいような、胸にぽっかりと穴の開いたような気分になったっけ。当時はまだ会社員だったから、暑くなるまでずっと、バーバリーで買った黒いネクタイしかしていかなかったな。今でもそのネクタイは法事なんかには重宝してるぜ。そして3か月くらいは、キヨシローの曲しか聴かなかったもんだ。おかげで連れ合いにはうんざりされるし、仕事仲間もヘキエキしていたもんさ。なぁに、かまやしないぜ。それが人生さ、ロックンロールさ。

ガキの頃から俺をかわいがってくれた叔父さん二人と、RCサクセションのライブを見に行った中学1年生のあの熱い夏の日から、すっかり不良中年に逞しく成長した今日まで、忘れたことなんかなかったぜ。世間のジョーシキを疑ってみたり、茶化してみたり、真正面から喧嘩を売ってみたりするのも、キヨシローから学んだことだ。ホントーの自分の気持ちを、いつも使っているフツーの言葉で表現することの大切さを教えてくれたのも、キヨシローだ。自分のオヤジから学んだことよりも、キヨシローに学んだことの方がずっと多いぜ。
Amsterdam
今日はキヨシローの『ガラクタ』って曲を聴いていた。自分を潰そうとする奴らを挑発し、そんなに簡単には、自分たちは潰されないと叫び、そして自分を潰そうとするやつらが、ガラクタだから無理だって歌い上げるのさ。会社で四面楚歌な状況に置かれていた頃、何度口ずさんだことだろう。
ざまみろ!俺は自分の足でしっかり立って歩いていくぜ。俺と奴らは決定的に違うんだ。心の中にロックンロールが響いていない奴に、ロックンロールを信じていない奴に、俺が負ける訳ねぇよなって思っていたぜ。挙句の果てに、会社を辞めて独立したのも、キヨシローの『ロックで独立する方法』という本を読んだからだ。
俺はロックンロールを杖にして、人生を這いずってここまで来たのさ。で、キヨシローは俺にとって、グルだったのさ。ロックンロール・グルさ。
しかし、キヨシローはもういない。ついでに言うと、ビン・ラディンもいない。ビン・ラディンがこの世からいなくなったからって、イスラム原理主義者のテロが無くなるわけじゃ無いように、キヨシローがいなくなっても、俺が自分のやり方を変えるわけがないだろ。それに今更世間様のお気に召すように改心したって遅いのさ。
キヨシローは、実は中年になってからのほうがカッコいい。若いころの力みが抜けて、スゲーことも過激なことも、そらよってノリで飄々とやって見せた。実際はインディーズからも発売中止になったりして、やることなすこと悪戦苦闘だったとしても、楽しんでやっているように見せてくれた。カッコいい大人だぜ。出来ることなら、若い奴らから、そんな素敵なおっさんに思ってもらえるようになりたいもんだぜ。

そうして、俺はキヨシローの歌を心に響かせながら、本日24枚プリント。フィルム1本半。俺の道楽はまだまだ終わらないのさ。
それでは読者諸君、また会おう。明日は親戚の小僧の6歳の誕生日だからな、顔を出してやるのさ。いい意味で手に負えない奴に育ってほしいもんだぜ。