2011/08/07

Post #267 Vertical Or Horizontal

なんだか一日中眠い。今日の仕事も監督業務なんで、職人さんの仕事を優しい眼差しで見守るだけ。緊迫緊張した現場で、のるかそるか、おののきながら仕事する方が、大変だけれど遣り甲斐があっていいんですがね。
最近、プリントしていて自分の写真が変わってきたのを感じるんだけれど、一番感じるのは、やはり横位置の写真が増えてきているってことだ。よく言われるように、縦位置の写真撮影ってのは、カメラをあえて縦に構えて撮影することから、対象に焦点を合わせたものになる。ちょうど、片目で対象を凝視してるような感覚だな。対して横位置は自然とカメラを構えることになるので、ファインダーは効き目で覗いているにしても、自ずと人間の自然な視野に近い写真になるっていうことだ。
強いて言うなら、対象に肉薄する縦位置、空間を捉える横位置ってことが言えるかもしれないな。
Paris
 俺の場合は、縦位置のほうが写真を並べた時の収まりがいいから好きってのが大きい。バランス的にね。もし縦位置の写真ばかり並んでいる中に横位置の写真が混ざると、単純に写真を2倍のサイズにするか、半分のサイズにして2枚縦に並べるかしない訳で、するてぇと、レイアウト的にムツカシーでしょ。なんだか収まりが悪い。これが写真集なら見開きページってことになって、それはそれでカッコいいかもしれないんだけど、俺如きでは、まぁそんな機会もゴザイマセンしね。
俺の場合、もっとも大きな理由は、やはり撮影スタイルだと思う。
コンパクトなコンタックスT3のシャッターボタンに人差し指をかけたまま、ストラップを手首にかけて持っている。で、撮影したい被写体を見かけたら、カメラを構えることなく、悟られないように他の方向を向きながら、時にはゆったりと歩きながら、さりげなくシャッターをきるわけだから、意識的といわれる縦位置のほうが、俺自身は意識せずに撮影できるわけだ。意識することなく対象に肉薄する縦位置なんて、サイコーじゃないかな。何がサイコーだよ、ホントにこれじゃ、プリントもエー加減なら撮影もテキトーだと思われても、まぁしゃぁないですね。
最近は、これにも更に磨きがかかってきて、これはと思う被写体を見つけると、その手前、正面、そして時にはダメ押しで歩み去りながらもう一発、計3カット撮影したりするときもある。まぁ、言うたら構図のブラケッティングですな。とはいえこれも、ファインダーをのぞかずに撮影しているので、あくまでも撮り洩らしの少ないようにっていう、保険の意味合いが強いんですわ。こんなことばっかりやってたら、盗撮だ、迷惑条例違反だなんだって、逮捕されたりする日も近かろうぜ。
しかし、これによって、地面が不安定に傾き、ブレたり、荒れたりしたネガが出来上がるわけで、これ無しじゃ、写真のライブ感が減衰してしまう気がするんで、これまた止められないんですわ。
Paris
けれど、最近どうにも不思議と横位置の写真が増えてきた。俺にとって横位置の写真は、安心して写真が撮れる状況であり、かつまた、少し引いたところから写真が撮れるポジションにいるってことなんじゃないかと思う。たとえば、さほど広くない道路の反対側の風景をまるっとざっくり取り込みたいとか。あるいは、被写体が動物とか、オブジェとか、写真を撮られても、文句を言って来たりしないような場合かな。
どっちに転んでも、さほど大した写真じゃないんだから、縦だろうが横だろうがカンケーねーだろうって言われそうだけれど、写真が縦か横かは、俺にとっては表現上の大きな問題なんだ。写真集作るときのレイアウトが面倒だろう!
冗談はさておき、最近、写真が少し変わってきている気がする。これがいい方向に働いてくれると、ありがたい事なんですがね・・・。さて、どうなることやら。

読者諸君、失礼する。君たちは縦位置と横位置、どちらが好みだい?もちろん俺は圧倒的に縦位置なんだけれどね。

2011/08/06

Post #266 Penalties For Sex Offenders

実は、昨日うちの連れ合いにこっぴどく叱られてしまった。
それというのも、俺が性犯罪者に対する持論を展開したからだ。
事の起こりはこうだ。昨日の朝だったと思うんだが、新聞を読んでいたら、俺が生まれた町に住む34歳の男が、強姦強盗の容疑で逮捕されたという記事が目に留まった。鍵のかかっていなかった女性の部屋に侵入し、刃物で脅して強姦し、財布から現金をふんだくって行ったという鬼畜野郎だ。近隣の町々でも似たような犯罪が続いており、我らがどんくさ警察が、やっと逮捕したというものだ。
俺は、この手の犯罪者は、常習性があり、実刑を加えても、出てきたらすぐまた同じことをしでかすと思っている。偽善者のように聞こえるかもしれないが、俺は強姦とか痴漢とかといった性犯罪は、大嫌いだ。いや、好きっていう奴がいたら、即刻警察に通報したいぜ。まぁ、奴らは事件になって被害が出てからしから動かないから、きっと俺が通報しても無駄足だろう。かえってそんな強姦大好き野郎に逆恨みされてしまうのが、関の山だ。いやいや、強姦大好きなんて奴になんて、逆恨まれるくらいがちょうどいいさ。そんな奴に気に入られたくもない。
世界の皆さん、女性には、優しくしましょう。
強姦するくらいなら、風俗にでも行った方がイイですよ!
Osaka
俺は、常々思っていることを連れ合いに言ってみたんだ。
『いやぁ、こういう卑劣な強姦野郎は、豚箱に入れて家具なんかを作らせるよりも、金玉をとっちまって去勢するなり、チンを高枝切はさみなんかで斬り飛ばして、二度とそんなことができないようにしてやった方がいいんじゃなかろーか』ってね。
そう、俺はこう見えて、ハンムラビ法典やタリバーンもびっくりするだろうってくらいの厳罰主義者なんだ。
だいたい犯罪ってのは、罰という貨幣ではかられる一種の商品だ。
たとえば、殺人に対する最高刑が、懲役3年だったとする。すると、頭のおかしいサイコ野郎どもはこう思うだろう。『あいつをぶっ殺してやっても、裁判でさっさと罪を認めたら、たった3年で自由の身になれるんだ。それならば、この殺人は充分に有利な取引だ。何しろ、こっちは3年豚箱で家具造りだが、にくいあの野郎の存在は、永久にこの世から消え失せるんだ。むしろお買い得といってもいい。やっちまえ!』
冗談じゃない。
覚醒剤?日本じゃこれで死刑になる奴はいないが、お隣中国じゃ所持しているだけで死刑だ。まともな裁判なんか省略して、死刑だ。
強姦野郎はこう思うだろう。『女を脅して、無理やりねじ込んでやり、うまくいけば女も世間体があって訴えない。訴えられたとしても、捕まるとは限らない、捕まったとしても、大した刑罰じゃない。OK、今からやったるで!』
もし、こいつが捕まったら、麻酔も無しにチンを切り取られたり、玉をむしり取られたりするんなら、二度と悪さは出来ない。根本治療だ。去勢された馬のように、大人しく暮らすがイイさ。
ついでに泥棒、腕を叩き切っちまえ、二度と悪さが出来ないようにな。
そんな事を真剣に話してみたら、うちのつれあいには気分を悪くしてしまって、俺はこっぴどく叱られることになった。仕方ない。この世の中には、腐った奴らがゴマンといやがるんだ。そいつらに高級家具ばかり作らせてどうする。せめて時計仕掛けのオレンジみたいに、洗脳治療でもして、強姦しようと思っただけで、強烈な吐き気が襲ってくるようにしたり、嘘をついて人をだまそうとすると鼻が伸びてしまうという強迫観念を抱くようにしたりするべきだ。
もう一度言う。時代遅れの箪笥を、そいつらに作らせてどうすんだ!そんなのいまどき買う奴はいないんだ。腕切り落しや玉抜きが許されないなら、犯罪を精神疾患として捉え、懲役に合わせてカウンセリングを施し、犯罪を起こさせるクソ野郎の頭の中のクソ回路を改善し、社会に出て使えるきちんとした職業訓練を施してやるべきだ。
くどいようだがもう一度言おう、桐の箪笥を作る技術を身につけても、この現代社会には、そんなスキルを持った労働者のニーズは、無い。まったく。
HomeTown
俺が、こんなにも激しく性犯罪者に対してキツイのは、むかし、まだクロマティ高校に通っていた頃、知り合いの女の子が強姦されていたことを知ったからだった。
その人は、家族にもそのことを打ち明けることが出来ずに、独りで長い間苦しんでいた。
その人は、俺から見ると痛ましいほどに心にぽかりと穴が開いていた。
その穴を埋めるために、その人はいろいろともがいていた。月並みな同情かもしれないが、それはどうにも見ちゃいられなかった。もう25年近く前の事だが、俺自身忘れることはできないし、きっとその人の心の奥にも、触れれば血の出るような傷が残っているはずだ。まぁ、もう逢うこともないだろうから、確かめることもできないけどな。
推測だよ、推測。
男性諸君、力づくで、女性を蹂躙してはいけないぜ。そんな奴は人間のクズだ。クズになって生ごみの日に袋に詰めて出される前に、次善の策として、真っ当に稼いだ金で風俗にでも行ってくれよ。
まったく冗談じゃないぜ。
俺はそんなクズ野郎は、とっとと玉抜きしてしまえばイイって真剣に思っているんだ。もしくは昔中国で採用されていた宮刑、つまりチン切り落しの刑だ。
もし俺が総理大臣とかになったなら、諸君、その時は楽しみにしていてくれ。アムネスティー・インターナショナルから非難の大合唱が起こるほどに、思い切ってやってやるぜ。とはいえ、俺がそんな立場に立つことは、間違ってもないから、まぁ悪党どもよ、せいぜい枕を高くして眠るがいいさ。
読者諸君、失礼する。明日も仕事だった。たった今また、連れ合いに叱られちまったぜ。

2011/08/05

Post #265 Money Go Around

なんだか今日あたりから次々と仕事の引き合いの電話が入ってくる。特に営業活動しているっちゅうわけでもないんだが、不思議なもんだ。
占いによれば、俺は生涯食うには困らない星回りなんだそうだ。食うには困らない程度の幸運ちゅうわけですわ、へい。しかし、通帳の預金残高を見ると、そんなの全く信じられなくなってくる。むしろトホホって泣きたいくらいだ。もっと華々しく儲けたい気もするが、しかし、そんなんじゃただでさえプリントするヒマがあまりないとぼやいているというのに、こんなことやってられなくなってしまうわ。
Paris
金をふんだんに持っていたら、間違いなく酒色で身を持ち崩していただろう、俺は。調子がいいからな。金のないのは、そういう意味では結構なことであるな。いや、羨ましくないわけじゃ決してないけどね。
しかし、持っている金の多寡で、人間の値打ちが決まってしまうようなこの21世紀の昨今、何とも寂しいものでござるよ。金は無くとも心は錦なんてのは、今の若い子は知らないだろうな。余りにも多様な価値観が乱立した挙句、共通の尺度が資本力以外に見いだせなくなってしまったのだ。
これが価値観のグローバルスタンダードなのか?本末転倒な感じがして、なかなかに面白い話だぜ。人間の価値が、世界の市場で取引される貨幣のレートにリンクしているようなもんだ。ボブ・ディランの歌じゃないけど、なんだか狂ってるぜ。俺達には一息つく暇もないのさ。
いくら金があっても、国家財政破綻、デフォルト、ハイパーインフレなんてことが起こったら、そんなの何の意味もないんだぜ。金ってのは、国家がその価値を担保してるからこそ、ただの紙切れが社会のメディウムとして、異なる価値体系のモノ同士を仲立ちする機能を、それは一種の物神性といってもええかもしれん、を有しているわけで、国家が崩壊してしまったら、誰もその価値を認めてはくれないのだ。ざまぁみろ!
そんなの起こるわけないって思ってるだろう?俺は、少し待ち遠しくもあるんだけどね。来るんだったら、俺がまだ健康なうちに来てもらいたいぜ。
俺が思うに、それはいつ起こってもおかしくないのさ。それがこの21世紀だ。お偉いさんたちの頭の中にある20世紀的なジョーシキでは、この21世紀は計り知れない。
俺たちは黒ひげ危機一発の樽の中で暮らしているようなもんで、自分たちの力の及ばない大きな歴史の流れによって、樽の中から吹っ飛ばされる日が、いつ来るとも来ないとも言えないのが、この不安な現在社会なんだよね。まったく嫌になっちまうぜ。
その時、本当に役に立つのは何か?俺はある種の図太さ、しぶとさが一番必要になってくるんじゃないかと思うんだが、どうだろう?俺は密かにそれをソウルパワーと呼んでいるのさ。あぁ、もちろん海外の銀行に口座を設けて、そこで外貨預金しておくというのも、現実的に役立つと思うよ。
まぁ、どっちにしたって草食系なんてとんでもないぜ。肉食、雑食好き嫌いなくガンガン行かなきゃ乗り切って行けないぜ。だから文句を垂れる暇なんかない。仕事のオファーが来たら、やれるだけやっておこう。さぁてと、ジャンジャン稼ぐぞ!
Paris
なんだか今日は、自分自身でも思わぬ話になってしまったなぁ。ホントーにいつも自動書記の様に、思いつくまま書いてるから、読者の皆様にご迷惑をおかけします。すんません。
という訳で、明日も朝早い。今日はこんなところでとっとと失礼させて頂きますぜ。皆さん良い週末を。おいらは仲間と一緒にコツコツ蟻のように働いているだろう。俺はキリギリスの皮をかぶったアリなのさ。うむ、それもまた人生だ、ロックンロールだ。