2014/01/10

Post #1015

HomeTown/Nagoya
日頃、自分でも判ってるのかどうか怪しいような小難しいことを縷々述べてはいるけれど、俺自身としては、いわゆる『もののあはれ』が好きなんだ。
本当は、政治だの世界だの大きなことよりも、女性と互いに仲良くなって気持ちよくなったりする方がはるか好きだし、人生にとって大きな意味があると思うのさ。刹那的だとしてもね。

愉楽の波は、その瞬間に体の奥底から湧き上がり、潮が引くようにすぐに掻き消えてしまう。
掻き消えてしまうから、何度でも味わいたいと想うものなんだろう。

だから、眠れぬままに読みふけっている金子光晴のこんな詩が、自分の想いと寄り添ってゆく。

愛情 55

はじめて抱きよせられて、女の存在がふはりと浮いて、
なにもかも、男のなかに崩れ込むあの瞬間。

五年、十年、三十年たつても、あの瞬間はいつも色あげしたやうで、
あとのであいひの退屈なくり返しを、償つてまだあまりがある。

あの瞬間だけのために、男たちは、なんべんでも恋をする。
あの瞬間だけのために、わざわざこの世に生れ、めしを食ひ、生きて来たかのやうに。

男の舌が女の唇を割つたそのあとで、女のほうから、おづおづと、
男の口に舌をさし入れてくるあの瞬間のおもひのために。

金子光晴 『愛情69』より、「愛情55」


ああ、そうだよな。あの瞬間のおもいのために、男なんて生きているに過ぎないんだと、俺も思うよ。まったくだ。それがわからんような男なんて・・・。
『女のほうから、おづおづと』ってのがまたイイ。この恥じらいを含んだ語感がたまらないな。
あんまり煙草を吸いすぎて、口が臭くならないようにしないといけねぇな。口臭ぷんぷんじゃ、どんな物好きな女の子も、鼻をつまんでそっぽを向いちまうだろうよ。

しかしまぁ、こんなことばかり書いてると、またカミさんに叱られちまうわな。

そんな切なさとエロスの漂う、駘蕩たる雰囲気の写真が撮れるようになりたいと思いながらも、まだまだ自分の写真は荒々しく、また理が勝っているように思える。残念なことだ。

読者諸君、失礼いたす。国家だの会社だのといった幻想よりも、女性への幻想のほうが、俺にははるかに重たく、重要だよ。君はどうだい?


2014/01/09

Post #1014

Budapest,Hungary
東京都知事選に、細川元首相出馬を検討・・・。背後に小泉純一郎元首相か。
これは面白くなってきたな。
この動きから目が離せないぜ。
読者諸君、失礼する。今日はちょっと忙しい。しかし、日々の忙しさにかまけて、この社会の行く末を考えなくなってしまうようでは、それは君、ちょっと本末転倒だぜ。

2014/01/08

Post #1013

Budapest.Hungary
およそこの世界には、現実の物しか存在していない。
しかし、私たちは現実を現実そのものとして認識するわけではなく、自らのうちにある様々な幻想を通じて、受け入れているといえる。
幻想こそ、物事に意味を与え、価値をもたらす源泉だということだ。

昨年、『国のために戦って死ぬことは、大変な美徳』とか言ったような趣旨のことを名古屋弁で言った市長がいたが、俺に言わせれば、国すら幻想の産物である以上、美徳だなんだというのは、それこそ幻想に過ぎないということだ。
犬死も名誉の戦死もない。ただ、国家という強烈な幻想によって、死地に赴くよう促され、帰ってこなかったというだけだ。
神の名のもとによる争いも、まったく同じことだ。神のために戦うことで、死後、楽園なり浄土なりに赴くことができるなどという幻想によって、無謀な戦いに意味を見出すことは、死後の世界という幻想を持たない者にとっては、噴飯ものでしかないが、果たして神なり死後の世界なりのほうが、国家だの法だのという、よりスマートな幻想より無知蒙昧なものなのかといえば、そうとも言い切れない。
人は国家という幻想のもとに殺戮をする者のほうが神という幻想に基づいて殺戮する者より、理性的かつ現代的であると考えがちだが、どちらも巨大な幻想であるという視点で見るなら、いずれも愚かしいことに変わりはない。

極力、幻想を排して、目の前の事物をそのままに捉えること。
しかし、人間という幻想的な生き物にとって、幻想を排した世界は、味気ないものだ。


読者諸君、失礼する。写真は現実を捉えるものだけれど、俺はこっそり、暗室の中で、俺自身の持つ幻想をブレンドする。人はそうしてできた写真をそれぞれの幻想で解釈するわけさ。