![]() |
| パリ、クリニャンクール。あの日は雪だった |
数年前の黄色いベスト運動をはるかに上回る暴動がフランスで起きているようだ。
詳細はまだわからない。10月17日に、それまで続いていた高校生!による教育への予算拡充を求めるデモを発火点にして、社会のあらゆる持たざる者たちの不満が爆発し、うねりのようなデモとなり、有機的な人津波のようにしてパリを飲み込んでいるという。まるで脳を持たない粘菌が、有機的に不定形に移動してエサをのみ込むように。
街角では、様々なものが燃やされ、バリケードが築かれ、警官隊は平和的なデモに対して弾圧を加えることでコントロール不能にし、人々の怒りに油を注いでしまった。
様々な商店が略奪され、燃やされた。その損害額は数億ユーロに上るというが、いったいどれほどの損害額になるか、誰にも分らない。
デモは、大統領の官邸であるエリゼ宮に向かったという。マクロン大統領は、正当な主張には対応するが、略奪や暴動に対しては断固とした処置をとると息巻いている。
そして、外野のドナルドトランプは、いつものように『デモは移民のせいだ』と的外れなことを言っている。フランスとアメリカの移民への包摂のシステムが全く異なることを、全然理解していない暴論というか、フランスの暴動にこじつけて自分の主張を垂れ流しているだけの愚かな発言だ。
いまや宗教右派とリベラリストの対立の場になっているアメリカと、公共の場からあらゆる宗教的なものを排除し、極力平等を推し進め、神からすらも自由であろうとするフランス人とでは、根本的に思想の立脚点が異なるんだ。
そして、この神無き市民=シトワイヤンの国フランスは往々にして、やりすぎる。
やりすぎるがゆえに、往々にして暴動になる。
その根底には、フランス革命の成功体験がある。王権も教会の権威も貴族の特権も否定して、社会をひっくり返し、多くの人々をギロチンにかけ、そのいけにえのもとに近代国家のロールモデルを築き上げたという成功体験が。
だからこそ、フランス人は、徹底的な政教分離を成し遂げた。これをライシテって言うんだ。
未だに天動説を信じてるような人がゴマンといるアメリカ!とは真逆なんだ。
アメリカには、フランスの「ライシテ(laïcité)」のような、公共空間から宗教を徹底的に排除するという厳格な原則はない。
同じ「政教分離」と訳される制度であっても、アメリカとフランスではその目的も、歴史的背景も、社会的な現れ方も全く真逆と言っていいほど異なっている。「アメリカは宗教から脱却していない」んだ。
なんでそんなに違うのかって?いろいろ理由があるのさ。
1. 歴史的な「敵」の違い
なぜこれほど差が生まれたのかは、それぞれの国が建国時に「何と戦っていたか」を見れば分かるってもんだ。建国神話みたいなものさ。
• フランス(ライシテ):宗教(教会)からの自由
フランス革命において、カトリック教会は国王と並ぶ「抑圧者(特権階級)」だった。
そのためフランスにとっての政教分離とは、「国家や市民を、教会の独裁や迷信から守る(つまり、解放する)」ための戦いでもあったんだ。
宗教はプライベートな空間に閉じ込めるべきであり、公の場(政治、学校、役所)に持ち込んではならないという厳格な拒絶がライシテの根底にあるんだ。
• アメリカ:国家からの(宗教の)自由
これに対してアメリカの祖であるピューリタンたちは、イギリス国教会(=イギリスの国家公認宗教ね)から信仰を弾圧されて新大陸に渡ってきたわけだ。
そのためアメリカにとっての政教分離とは、「自分たちの多様な信仰を、国家の介入から守る」ためのものでったわけだ。
ベクトルが真逆なんだ。
「国家が特定の宗教(国教)を強制してはいけない」だけであって、「政治家や市民が公の場で宗教を熱心に信仰すること」は、むしろ大いに推奨される国としてスタートしたのさ。
2. 現実の社会における決定的な差
この違いがあるため、フランスのライシテの視点から見れば、アメリカの政治・社会は「宗教にまみれた異常な光景」に映るわけだ。
ライシテこフランスでは、宗教色を完全に排除して、大統領の宣誓に聖書は絶対に使わない。
公立学校では、宗教的シンボル(十字架、ヒジャブ等)の着用禁止だ。
そして、政治は常に宗教の持つ社会的影響力を弱めるように働く。
これに対して、宗教国家アメリカはどうか?
大統領の誓いの際には、聖書に手を置いて誓う。In God We Trustだ!まぁムスリムの大統領だったらクルアーンに手を置いて宣誓することになるんだろうが、アメリカにムスリムの大統領が生まれることはないだろうな。
学校では、神への祈りや聖書クラブの活動が信仰の自由として盛んに行われる。まぁ無差別銃撃事件もよく起きるけどね。
そして政治はいつも宗教的価値観に翻弄され、中絶禁止などを法制化しようとするわけだ。
フランスでは、公的な場所で宗教を大っぴらにアピールすることは「社会の分断を招くルール違反」とみなされる。あくまで個人の内面の問題だ。
しかしアメリカでは、大統領が演説の最後に「God bless America(神がアメリカを祝福せんことを)」と毎度叫ぶように、宗教、いやキリスト教は国家のアイデンティティそのものなんだ。
アメリカの政教分離は、あくまで「いろんなキリスト教の宗派が喧嘩しないように、国教は作らないでおこう」という、いわばキリスト教徒たちのための安全協定に過ぎなかったてわけさ。
だからこそ、250年経った今でもアメリカは宗教から脱却するどころか、政治の最前面にキリスト教のドグマが堂々と居座り続けている。
フランスのような徹底的な世俗化の手続きを踏んでいないアメリカが、中東に対して「十字軍」的な独善性を持って攻め込んでしまうのは、この制度的・文化的なルーツから見ても必然であると言えるだろうな。イラクの時も、今回のイランもそうだったぜ。
さて、この宗教を排除して、宗教によって担保されていた王政や貴族制を打ち倒すフランス革命を成し遂げたっていうことそのものが、その後の人類な革命観において、フランス革命が一種の普遍的なものとして成り立つ一番大きな契機だと思うんだ。
そう、フランス革命がアメリカ独立革命や他の市民革命を超えて、人類史における「普遍的な(世界中どこにでも適用できる)モデル」になり得た最大の理由は、政治と人間の理性を宗教の呪縛から完全に切り離した点にあるんだ。
これこそがフランス革命が世界史に刻んだ最も偉大な、そして本質的な契機です。その「普遍性」の意味を、ここまでのアメリカとの対比からさらに煎じ詰めるとこんな対比が浮かび上がるのさ。
1. 「特定の神」ではなく「全人類の理性」を土台にした
アメリカの独立革命は、実態としては「イギリス(プロテスタント)の身内同士の権力争いと、キリスト教徒の居場所づくり」というローカルな性質を脱し切れていなかった。だからこそ、今でもキリスト教という特定の宗教に縛られ続けている。政治や世界の行く末に大きな影響力を与えるほどに。
しかし、フランス革命が掲げた「人権宣言」はまるっきり違う。まぁ、白人オンリーとしか思えない愚行をフランスも散々やらかしてはきているけど、その理念は突き抜けてるよな。
彼らは、人権の根拠を「キリスト教の神」に求めず、人間が生まれながらに持つ「理性」に求めたんだ。神からの決別だ。
そしてそれは、誰にでも適用できる普遍性を持ちうるんだよね。
根拠がキリスト教の神であれば、イスラム教徒や仏教徒、あるいは無神論者には通用しないだろ?
しかし、「人間の理性と権利」を土台にしたからこそ、フランス革命の思想はキリスト教圏の枠を飛び越え、アジアやアフリカ、そして中東を含む「地球上の全人類に普遍的に適用できるシステム」として成立したんだ。
2. 「公共の場」という中立なスペースの発明
フランス革命が成し遂げたもう一つの普遍的な功績は、「公的な空間(政治や教育)には、特定の宗教を持ち込んではいけない」というルールを世界で初めて作ったことだ。ライシテはその成文化されたルールだね。
もしこのルールがなければ、国家は常に「どの宗教・どの宗派が一番偉いか」という不毛な争いに明け暮れることになるだろう。
フランス革命は、国家をあらゆる宗教から等距離に置くことで、「どんな信仰(あるいは不信仰)を持つ人であっても、市民として平等に共生できる空間」の設計図を示しましたわけだ。そこに至るまでには、ユグノーのぎゃくさとか、プロテスタントが焼き殺されるとか、ひどいことが山程起こった。ルソーやヴォルテールが人々に近代的な普遍性と人権と寛容さを説き続けた。その行く末にフランス革命が起きたんだ。
おかげさんで、近代民主主義国家が目指すべき「普遍的な理想の形」となったわけだ。
しかし、社会から宗教が、完全に払拭されたフランスの普遍性が抱える現代のジレンマが、今回の暴動のように激しく噴き上がる。この「フランス革命の普遍性」も、現代において新たな壁にぶつかっているんだ。
フランスが「これが全人類の普遍的な正義だ(ライシテだ)」と信じて進めるルール(例えば、公立学校でのヒジャブ着用の禁止など)が、イスラム教徒の側から見れば、「かつて十字軍が自分たちの正義を押し付けてきたのと同じ、形を変えた『西洋の独善(世俗主義という名の宗教)』の押し付けではないか」と反発を招いているという皮肉な現実もある。
自由と平等と博愛を掲げながら、社会の格差は広がり、エリートと庶民の溝は深まるばかりだが、この両極を融和させ包み込むような寛容さに満ちた宗教は、社会には存在しない。
彼らはフランスの市民たちは何に怒っているのか。究極的には本人たちも定かではないかもしれない。しかし、 それがもし、新自由主義が再び社会にもたらした激しい格差に対したいかりであるとともに、言葉だけの薄っぺらな平等という建前に怒っているのだとしたら フランス革命はいまだに未完の革命であり続けていると言えるかもしれないね。

0 件のコメント:
コメントを投稿