2026/07/18

POST#1911 救世主はどこにいるんだ?!もうババ抜きにはうんざりなんだ

 

Thailand、Bangkok

昨日も話したエルサルバドルや中央アフリカの話は、もうちょっと深掘りしてみると面白そうなんで、掘ってみることにするかな?

社会的にデジタルインフラの普及や、社会資本の蓄積が十分でない社会でビットコインを『法定通貨』にするというのは、あまりにも無謀でリスクが大きい話だと思うんだ。

まず第一にデジタル弱者の人たちが、価値の交換手段を喪失してしまうという事態が容易に想像されるんだ。

こいつは単なる技術的な問題ではなく、人権や生存権に関わる極めて深刻な構造的欠陥だといえないか?俺はうちの近所の戸松さんご夫妻(御年80代後半)が、ビットコインで買いものするなんて想像できないよ。

情報インフラやWEBリテラシーが十分でない社会で、ビットコインを無理やりに法定通貨にすることは、「デジタル弱者を社会の経済活動から完全に排除する」という最悪の結果が来ること120%間違いない。とんでもなく無謀で、とんでもなくリスキーなんだ。


1. 「生存のための交換手段」の喪失

ちょっと想像してみてほしい。デジタルインフラやスマートフォンなどの端末を持たない、あるいは使いこなせない人々にとって、決済手段がデジタルのみ(あるいは推奨)に移行することは、命に関わる死活問題だ。とりわけ、こういったデジタル端末を持っていない人は、持ちたくても持つ経済的な余裕のない人である場合もあるだろう。また、新しい技術についていけないという人もかなりの割合でいるだろう。

近所のスーパーのセルフレジキャッシュレス専用で途方に暮れている老人を見たことがあるだろう?まさにあの光景が、全国的に広がるわけだ。君なら、どうする?

日常の売買からの排除
 エルサルバドルでは法律(ビットコイン法第7条)で「すべての経済主体はビットコインによる支払いを拒否してはならない」と定められたそうなんだが、露天のおばちゃんやおじちゃんはどうなるんだ?
もしこれが厳格に運用され、現金(米ドル)の流通が滞れば、スマートフォンを持たない貧困層は農作物や日用品を売ることも買うこともできなくなるだろう?
いやいや、やばいな。
基本的人権の侵害
国家が認める「交換の手段」にアクセスできないということは、市場から強制退場させられること意味してるわけだ。つまりこれは、デジタル弱者は資本主義社会からオミットされるだけでなく、生存権を脅かされることでもあるんだぜ。
これは経済的な格差を広げるだけでなく、生存そのものを脅かす暴力的な政策じゃないか?
まったく、エルサルバドルって、THE 救世主って意味なんだけど、まったくどんな救世主だよ?!

2. 「社会的共通資本」の圧倒的な不足

ビットコインを日常的に使うためには、国家規模で膨大な「社会的共通資本」つまりインフラが必要だろう。どこでもつながる通信網、WiFi環境、停電したりすることのない送電網とか、そういった俺たち日本人が当たり前に享受してるインフラだ。

しかし、この手の破綻・脆弱国家にはこれが決定的に不足しているってのがお決まりのパターンだ!どうするんだよ?

電力と通信インフラの脆弱さ
中央アフリカ共和国のインターネット普及率はわずか数%、電化率も10数%程度だった。

電気が通らず、電波も届かない村でデジタル通貨を法定通貨に指定すること自体が、現実を無視した机上の空論であったことは明白というか、はっきりいって狂ってるだろう。
そんなあほなことを発想してるから、いつまでたっても破綻国家に甘んじることになるんだ。
高額な手数料の壁
ビットコインは取引や送金のたびにネットワーク手数料がかかる。当然だ。
君も、世の中の人間は、タダでは指一本動かさないと思っておいた方がいいぜ。
これが何を意味するかといえば、ネットワークが混雑すると、数ドルの買い物を補うために、それを上回る手数料が発生することもあるってことだ。
例えば、1ドルのトイレットペーパーを買うのに、手数料が1ドルかかってたら、実質購買価格は2倍ってことになるだろう?
資本の流動性が、がくっとおちること間違いなしだ。ビットコイン自体はインフレーションしなくても、実際に物を買うのに手数料込みの金額になることで、モノの実際の単価はインフレーションしてしまうからだ。
これは、キツイ。日本人でもきついだろうが、1日の生活費が数ドル以下の破綻国家の貧困層にとって、いくらお上がこれを使えって言ったところで、ビットコインは実質的に「使ってはいけない通貨」になっちまうよな。
そうなると人々は物々交換でしのぐか、日常的に流通する、非公認のトークンを生み出して、自主的に流通させることで経済を回していく必要が生じるよね。
生きていくためには知恵を絞らないといけないんだ。

3. 「価値の保存」すらできない価格変動

弱者にとって最も残酷なのは、ビットコインの激しい価格変動(ボラティリティ)だ。

資産の目減りという恐怖
今日、一ヶ月分の食費に相当するビットコインを持っていても、明日その価値が20%暴落すれば、明日の食事を諦めなければならなくなるよな。
もし君が富裕層で、当面の暮らしに差支えがないのなら、「今は我慢の時。長期的には値上がりするはずだから、欲しがりません勝つまでは!」とビットコインの保有を続けられるかもしれないけれど、俺のようにその日暮らしの弱者にはその猶予は、まったくない!
君なら、どうする?
略奪的な構造
結果として、価格変動リスクを負えない弱者=貧乏人はビットコインをすぐに手放し、リスクを許容できる富裕層や外国の投資家だけが利益を得るという、構造的な富の吸い上げ(搾取)が発生するだけだ。まさに逆流した富の再分配だ。
しかも、この富裕層の懐に溜められたビットコインは、流動することがない。
なぜって、この人たちはビットコインを塩漬けしておけば、その希少性から(世界中の欲の皮の突っ張った連中が幻想を抱いているうちは)最終的には価値が上がると確信している欲の皮の突っ張った連中の一員だからだ。
さらに言うと、こうした失敗国家の国民のほとんどは、残念ながら失うものは命と鎖しかないというほどの貧乏人だったりするんだ。

結論:国家の責任放棄

MMTの観点から見ても、国家の本質的な役割の一つは、「すべての国民が安心して経済活動に参加できる共通のインフラ(信頼できる通貨)を提供すること」に他ならないはずだ

社会的な富の蓄積とインフラの整備が不十分なままでビットコインを導入することは、ずばり、国家としての責任を放棄し、国民(とりわけデジタル弱者や貧困層)を情け無用な弱肉強食な市場という、万人の万人に対する闘争の修羅場に、裸一貫で放り込むという「極めて無謀で、実験的な暴挙」であったと言わざるを得ないわな。

皆の衆、日本に生まれてラッキーだったな。

だからこそ、中央アフリカはすぐに撤回し、エルサルバドルも義務化を事実上取り下げざるを得なかったわけだ。てか、そんなことぐらい、ちょっと考えたらわかりそうなもんだけどな。まったくどうかしてるぜ。

ビットコインは、対ドルでその価値が測られているわけだけれど、その価値は貨幣の安定性というモノには程遠いといわざるを得ないね。

まったく投機的な金融商品=コモディティとして常に大きく乱高下しているんだ。これが何を意味するか分かるだろう?

そう、昨日は 0.0001 ビットコインで買えたものが、今日は 0.0002 ビットコインでしか買えないということが、容易に発生するということなんだ。

この価格変動の激しさ(ボラティリティ)こそが、ビットコインが日常の買い物を支える「通貨」には絶対になれない最大の実務的欠陥なんだ。

上にあげたように、「昨日は0.0001BTC、今日は0.0002BTC」という例は、物価が1日で2倍になったってことだ。つまり100%のインフレーションだ。あるいはビットコインの価値が1日で半減したことを意味するよな。

これが日常的に起きる社会がいかに不条理であるか、考えてみてもごらんよ。

まったくたまらないぜ!

1. 「価値の尺度」としての機能不全

経済学において、通貨には「交換手段」「価値の保存」に並び、「価値の尺度(物差し)」という重要な機能があるのは、賢明な読者諸兄諸姉にもお分かりだろう。

ちょっとたとえ話をしてみよう。

君は日曜大工をするために、工具屋さんでJIS1級のメジャーを買ってきたとしよう。このメジャーのメモリが、日によって伸び縮みしたらどうなるだろう?

決して君の加齢による老眼のせいじゃない。

昨日と今日とでメジャーの示す値が2倍も違ってたら、日曜大工なんてできないぜ。価格が乱高下してるビットコインはまさにそんな状態なんだ。

価格表示の不可能性
さて、そんなあてにならない価値の尺度に頼らざるを得ない社会を考えてみてほしい。
君はお店を営んでいる。君は毎日、PCやスマートフォンに表示される1BTCの対ドル交換レート=ビットコインの相場とにらめっこして、毎日、あるいは毎時間、商品のビットコイン価格を書き換えなければならなくなるんだ。
やってられないだろう?
こんなバカバカしいことをしてたら、経済活動のコスト(メニューコスト)が膨大になって、ビジネスは成り立たないってことになる。
つまり、ビットコインを法定通貨にするってことは、結果として誰もが頭の中で、いやカシオの電卓で「ドルや円に換算するといくらか」を計算せざるを得ず、貨幣は異なる価値を持つ物同士の交換を可能にする『価値の物差し』としての役割を放棄することになるわけだ。
これは経済のすごく基本的なことなんだ。覚えておいて損はないぜ。

2. 「生活設計」と「ビジネス」の破壊

価格がこれほど乱高下する環境では、将来の予測が全く立たなくなるよね。

麻生漫☆画太郎の『老後2000万円必要』問題を考えてみてほしい。

確かに長期的なインフレーションによる貨幣の減価は、円でもドルでも元でもユーロでも起こりうる。円はここんとこずっと、インフレーション気味だ。

それでも、一夜明けたら、その価値が半減しているとかってことは、まず考えられないだろう。けど、ビットコインが法定通貨の世界じゃ、そういう可能性は否定できない。そんな社会では、将来設計もできないし、ローンを組んで家を買うこともできやしない。

一消費者として考えてみても、そんな社会は恐怖以外の何物でもないぜ。
なにしろ給料をビットコインでもらったとしても、翌日にその価値が暴落すれば、買えるはずだった食料や薬が買えなくなるんだ。ローンの返済だって困っちゃうぜ。子供の学費なんて夢のまた夢だ。子供の学費に資本をつぎ込めない社会は、けっして成長しない。いつまでも経っても、経済的なテイクオフを果たすことはできないんだ。
そして、この不安定な経済構造の社会では、企業の倒産リスクはとんでもなく跳ね上がる。というか、どんな企業も安定した資金繰りや返済計画が組めずに、ビジネス展開の計画すら描けないだろう。
だいたい考えてみてれば、商品を仕入れたときよりも、商品を売るときのビットコイン価値が下がっていれば、商品を売れば売るほど、つまりビジネスをすればするほど赤字になるわけだ。
こんな社会では、誰一人としても将来の投資や雇用、長期の契約(家賃の支払い、ローンの返済など)を結ぶことができないだろう。信じられるのは現物=リアルエステートだけってことだ。

3. MMT(現代貨幣理論)が求める「安定」との乖離

MMTの観点から見ても、政府が中央銀行を通じて法定通貨を発行し、税制を通じてその流通量をコントロールするのは、「物価と通貨価値の安定」を維持するために他ならない。

しかし、ビットコインじゃ中央銀行や政府のできることはほとんど何もない。管理できない通貨なんだ。
ビットコインは発行総量がプログラムで固定されているため、市場の資金需要が急増したとしても、供給量を増やして価値を安定させることができないわけだ。
そうなると頼みの綱は投機しかない。つまり国家の命運をギャンブルに託すという究極のギャン中社会の顕現だ。 
価値の根拠が「次に高く買ってくれる人がいるかどうか」という投資家の心理(つまり思惑というかアニマル・スピリット)だけに依存しているため、ビットコインの価値は必然的に乱高下する。アメリカの金利によっても、資金が流入したり、流出したりするので、大きく変動する。
国家の経済をこのような「ギャンブルのチップ」に委ねることは、国家経済の自殺行為というしかない愚挙だよな。

つまり、1日で価値が倍増したり半減したりするコモディティであるビットコインは、どれだけ技術的に優れていても「通貨」としては機能しえないんだ。

エルサルバドルなどの実験が失敗したのも、国民がこの「明日の生活の購買力が予測できない恐怖」に耐えられず、結局は価値の安定した米ドルに回帰したからだ。

このように通貨の価値が不安定な時、洋の東西を問わず人々はこの通貨を手にした瞬間に、犬のように走って資産価値の目減りのしにくい商品に殺到し、価値を保存しようとするというのが、往々にして歴史上見られるシステムだ。

経済学や歴史において、まさにその現象はグレシャムの法則🔗(悪貨は良貨を駆逐する)」「ハイパーインフレ期の実物資産への逃避(フライト・トゥ・リアルアセット)」として何度も繰り返されてきた。

価値が不安定な通貨を手にした人々が、どのように行動し、社会がどう崩壊していくのか、歴史の教訓からそのメカニズムを検証してみるとするか。


1. 歴史が証明する「モノへの殺到」

通貨の価値が信用できなくなった時、人々は「紙切れ(あるいはデジタルデータ)」よりも、腐らない、あるいはそれ自体に価値がある「現物」を必死に手に入れようとする。

ハイパーインフレ時の購買運動
1920年代のドイツ(ワイマール共和国)や、近年のジンバブエ、ベネズエラでは、給料を受け取った労働者はその足で市場や商店に走り、パン、缶詰、靴、石鹸などを買えるだけ買い込んだ。 数時間後には通貨の価値がさらに下がり、何も買えなくなることを知っていたからだ。
ここでちょっと面白いのは、1920年代のドイツでは、人々は当時最新技術の結晶であったカメラに価値を見出した。人々はリヤカーに満載の札束を引いてカールツァイスのカメラを買ったりしていたんだ。それが結果的に、ドイツの光学技術と精密工作技術を発展させたわけだ。
物々交換経済への逆戻り
通貨が使い物にならなくなると、人々は通貨を媒介にすることをやめ、タバコや砂糖、ガソリンといった「それ自体が価値を持つコモディティ」を直接交換し合うようになるわけだ。まるで、戦後の闇市みたいなもんだ。ペレストロイカの頃のソビエトにも、家の中から探し出してきたガラクタを並べて売る人がたくさんいた。
それでも売るものがない人間はどうするんだ?乞食、売春、窃盗あらゆる犯罪が生きるために正当化されてしまう事になるんじゃないか?

2. 「バケツリレー」にされる不安定な通貨

この「手にした瞬間に換金する」というダイレクトな行動は、不安定な通貨が「誰も持ちたがらないババ抜きのカード」になることを意味してるんだ。

流通速度の異常な上昇
そうなると、通貨が交換の手段として使われているように見えても、全員が「一刻も早く手放したい」と考えているため、通貨の流通速度だけが異常に速くなるという異様な現象が起こる。超高速なパス回しだ。ただし回ってるものはボールじゃない。信用のない通貨そのものだ。
「価値の保存」機能の完全な喪失
通貨は「今使わなくても、将来同じ価値のものが買える」という信頼、つまり価値の保存という機能があるからこそ成り立つわけだ。しかし、手にした瞬間に手放さざるを得ない通貨は、すでに通貨としての命を失っているといってもいいだろう。ピンの抜かれた手榴弾を、みんなが次々他人に押し付けてるようなもんだ。

3. MMT(現代貨幣理論)の視点:国家の崩壊

MMTの観点からこの現象を見ると、これは「国家の徴税権の敗北」と「統治能力の喪失」を意味しているといってもいいだろう。

税金で回収できないリスク

政府がいくら「この通貨で税金を払え」と言っても、その通貨の価値が1日で半分になるような状態では、国民は税金を払うためにその通貨を保有するインセンティブすら失くしちまうよな。

コモディティ(外貨・金)への完全移行
政府の力が弱い脆弱国家では、国民は政府の目を盗んで、より価値の安定した「米ドル(外貨)」や「金(ゴールド)」、あるいはビットコインのようなデジタル・コモディティを勝手に裏の共通通貨として使い始めるだろう。
もっとも、この文脈じゃ、失敗国家でビットコインをを使うという話が前提だから、ビットコインは一旦頭の中から放り出して構わない。
こうして、国家の定めた公式の法定通貨は完全に誰からも見捨てられ、紙くずになってしまうわけだ。
そういえば、∀ガンダムでも、そんなシーンがあったな。あれはムーンレイス(地球を逃れて月面に移住した人間)の圧倒的な火力で、地上の人間の都市国家が崩壊したシーンだったな。

さて、こうしてビットコインを無理やり法定通貨にした国、あるいはインフレで自国通貨が崩壊した国で起きるのは、まさにこの「手にした瞬間の換金・実物資産への殺到」に他ならない。中央銀行の最大の使命が、通貨の安定性にあるというのは、社会の秩序の根底だからだ。

いくらビットコインを稼いでも、次の瞬間に暴落するリスクがあるなら、人々はそれを手に入れた瞬間に「米ドル」や「生活必需品」に変えるために行列を作り続けるだろう。

結果として、その社会ではビットコインは単なる「不便でリスクの高い中継点」になり下がり、通貨として定着することは絶対にないわけだ。

最も俺なら、働く気力を無くして、ダラダラごろごろカミさんに寄生することになるんだろうな(笑)


それはどういうことかといえば、為政者が新たな経済の可能性を見出したものが、庶民にとってはババ抜きのババにしかならないということなんだ! 

「為政者つまり支配層が夢見る『新たな可能性』が、庶民にとっては『ババ抜きのババ(押し付けられるリスク)』でしかない」というのは、経済の歴史において何度も繰り返されてきた悲劇の構造そのものだ。それはあらゆる領域で起こり得るけども、個と経済政策で起きた際には、社会の全域に被害が及ぶってことだ。町がジョーカーに乗っ取られるのさ。

OK、この「為政者と庶民の決定的な非対称性(ギャップ)」について、掘り下げてみようか?


1. リスクを「転嫁」できる為政者、「背負う」しかない庶民

為政者や富裕層にとって、ビットコインのような新しいテクノロジーは、最悪失敗しても「ポートフォリオ(資産構成)の一部」が傷つくだけで済んじゃうんだな。

実験ができる強者
エルサルバドルのブケレ大統領のような為政者は、国家予算や外国からの投資を使って「最先端の経済実験」を華々しくアピールできるよな。結構なことだ、素晴らしいぜ。
生活がかかる弱者
しかし、その実験の場に強制参加させられる庶民は、たまったもんじゃないぜ!
日々のパンや薬を買うためのわずかなお金が乱高下のリスクに晒されるんだ。
資産価値の暴落のしわ寄せを直接受けるのは、常に今日・明日を必死に生きる庶民なんだ。そう、俺みたいなやつさ。

2. 「ババ抜き」のルールを押し付ける権力

この狂った「ババ抜き」ゲームが成立してしまうのは、為政者が「法律(法定通貨化)」という権力を使って、無理やりそのババを庶民の手に握らせるからに他ならないんだ。

拒否権のない弱者
「この通貨を受け入れなければならない」という強制力は、国家が国民に課す絶対的な命令だ。逆らったらどうなるか?豚箱行きだろうな。いっそ女房子どもも一緒に豚箱にぶち込んでくれたなら、国家におさんどん食べさせてもらえてありがたいくらいだな(笑)
富の吸い上げ
いつ何時価値が下がるかもしれない「ババ(不安定なデジタル通貨)」を庶民に持たせて、高速パス回しをさせている間に、情報やインフラを持つ特権階級は、それを素早く外貨や実物資産という「本物の価値」に換金して逃げ切ることができるんだ。
まったく、世の中酷いもんだぜ。

3. MMT(現代貨幣理論)が批判する「最悪の国家」

MMTの理想的な観点から見れば、政府の役割は「国民が安心して使える、価値の安定した通貨というインフラを提供すること」だ。

役割の逆転

通貨の価値を安定させる責任を放棄し、むしろボラティリティ(乱高下)という市場のギャンブルリスクを国民に押し付ける行為は、国家による「経済的ネグレクト(育児放棄)」に他ならないよな。一言で言えば、棄民政策だ。

信頼の崩壊
為政者が独りよがりの「新時代の可能性」を追い求め、庶民にババを引かせ続けた結果は、いったいどんな素敵な社会が待ってるだろう?
賢明な読者諸兄諸姉はもうお分かりですね。
待っているのは国家と通貨に対する完全な信用崩壊だ。
エルサルバドルや中央アフリカで起きた(そしてすぐに破綻した)デジタル通貨の実験は、まさにこの「為政者のエゴやパフォーマンスの道具として、庶民がリスクという名のババを引かされた構造」だったわけだ。
だからこそ、社会的蓄積のない共同体での強引な導入は、無謀であり、正義にも反する暴挙だったと言えるだろうよ。

現代貨幣システムというのはこのババを国家が担保するという意味合いで成り立っているシステムだと俺は考えてるんだ。

俺や君たちが使っている現代の紙幣やデジタルマネーは、それ自体には金の裏付けもない「ただのババ(価値のない紙切れやデータ)」なんだ。

それを「国家が100%担保する(ババにしない)」と約束し、国民がそれを全面的に信頼しているからこそ成り立っているシステムなんだ。

1. 国家が「ババ」を「良貨」に変える仕組み

現代の貨幣(日本円や米ドル)は、かつての金本位制のように「金(ゴールド)」と交換できる保証がない。兌換性の廃止に関しては、ずいぶん前にもこのブログで紹介したことがあるから、今日は書かない。疲れるから。

何はともあれ、貨幣なんてのは文字通り、国家の信用がなければただの紙くずなんだ。

租税という担保
ここでMMT(現代貨幣理論)の「租税貨幣論」に立ち戻ろう。
国家は国民に対して、「この紙切れ(円)で税金を納めなさい。そうすればあなたの罪(納税義務)=負債を免除します」という強力な担保を与えているわけだ。
最終受け取りの義務
国家という最も巨大な経済主体が「この通貨をいつでも100%の価値で受け取る」と保証しているからこそ、誰もそれが「最後に残ってゴミになるババ」だとは思わないわけだ。
この国家による担保によって、紙切れが絶対的な信用を持つ通貨へと変貌しているわけだ。

2. 「ババ抜き」にさせないための、果てしない物価安定努力

現代の経済において、もし通貨の価値が急激に下がり始めたら、それは国家が「担保の責任」を果たせなくなったことを意味するんだよ。

今の日本はその瀬戸際にあるって俺は見てるんだ。やばい時代がすぐそこまで来てるぜ。

中央銀行の使命
日銀やFRB(米連邦準備制度理事会)といった中央銀行が、金利を操作してインフレを必死に抑えようとするのは、通貨を「一刻も早く手放したいババ」にさせないために他ならない。
信頼の維持のためなんだ。
国民が「この円を持っていれば、明日も来年も同じように買い物が出来る」と確信できている状態こそが、国家による担保が機能している証拠ってわけだ。

3. ビットコインとの決定的な違い

この「国家の担保」という視点を持つと、なぜビットコインが現代貨幣システムの代わりになれないのかが完全にクリアになるだろう。

ビットコインは誰も担保してくれない
ビットコインの後ろには、価値を担保してくれる「国家」も「中央銀行」もない。
いまビットコインをありがたがっている連中が、突如みんながみんな夢から覚めるようにその本源的な価値の免染の不在に気づき、暴落して価値がゼロになっても、誰も責任を取ってくれないんだ。サトシ・ナカモト?そんな人物が本当にいるのかどうかも謎だし、いたとしても彼はそのシステムを作り上げただけで、勝手にオッズを積み上げたのは、彼じゃない。
押し付け合いのマネーゲーム
担保がない以上、ビットコインの価値は「次に自分より高く買ってくれる人がいるか(=ババを引いてくれる人がいるか)」という思惑だけで動くことになる。
これこそが、俺が最初に指摘した、本質的な「ババ抜きの構造」そのものなのさ。

現代の貨幣システムとは、本来なら価値のないデジタルデータや紙切れという「ババ」の信頼性を、国家が徴税権と法秩序、そして経済の安定政策という「圧倒的な力」で100%担保し、誰もが安心して使えるインフラへと昇華させたシステムに他ならない。
幻想に何とか実体を与えるための、悪戦苦闘なわけだ。

為政者がこの担保の責任を放棄し、最初から最後まで誰も担保してくれない「本当のババ(ビットコイン)」を法定通貨として庶民に押し付けることが、いかに無責任で危険な行為であるか、読者諸兄諸姉もよーくわかってくれたことと思う。

もっと言えば、しょせん貨幣なんてのは幻想なんだ。

俺に言わせれば、金を持ってるから偉いとか思ってるやつは、国家という大きな幻想に貨幣価値という幻想を植え付けられてるだけのパープーで、そんなことで人間の価値を判断するようなクズには死んでもなりたくないってことさ。

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