2026/05/30

POST#1863 何もかもが転倒した社会に俺たちは生きている

 

河内、越南

俺はつねづね思ってるんだけどさ、経済の拡大(成長)という手段のために、人間や社会、そして地球環境という目的(土台)が従属させられ、使い潰されている現代の構造ってのは、完全に「主客が逆転した病理」ではないかな。

この転倒した世界を180度ひっくり返し、「人間と自然の生存(ウェルビーイング)のためにこそ、経済が従属すべきである」という本来の秩序を取り戻さないと、もうこの世界は持たないぜ。これだけは断言する。こんなのあと百年続けるつもりかい?POST#1774🔗を参照してみてほしい。

いま、俺や君がさっさと取り組まないと手遅れになるだろう思想的・実践的な転換点こんなところだ。よく考えてほしい。

1. 「経済」を最下層の「手段」へと引き戻す

経済思想家のカール・ポランニー🔗が指摘したように、本来の経済は社会や自然の中に「埋め込まれた(Embedded)」一部に過ぎなかったはずだ。しかし現代は、経済が社会のルールを規定する「市場社会」へと暴走している。すでに俺たちは、資本主義経済ってのシステム以外の生き方があることすら想像できない状態に陥ってる。思考停止状態なんだ。

本来あるべき順序(エコロジカル経済学の視点)ってのは、理性的に考えればこうだろう。

地球環境(自然):すべての生命の基盤(有限)

人間・社会:自然の中で営まれる共同体と尊厳

経済:社会を豊かにするための単なる道具・仕組み

しかし、現代世界では、すべてが転倒している。このピラミッドが逆転し、経済(GDPの数値)を維持・拡大するために、自然が破壊され、人間の精神と命が削られている。これって、本末転倒していないか?

2. 「資本の自己増殖」という宗教からの脱却

現在の資本主義システムは、自転車操業のように「前年比プラス」の成長を続けなければ破綻する構造(成長の呪縛)を持っている。しかし、もう『市民』に際限なく『広告』を浴びせ、皆の欲望をあおり、劣等感を刺激し、欠乏感を注ぎこみ、『市民』から『消費者』へと変貌させて、その自尊心を破壊し、不要なものを必要だと思わせ、人生は無限に続くと錯覚させて本当に大切なことを見失わせることで成り立つ経済は、もう限界なんじゃないか?

みんな気が付いていても、もうどうに止まれないってのが正直なところかもしれないがね。

人間を資源とみなす本質とは何か。

資本が自己増殖(投資して利益を得て、さらに再投資する)し続けるためには、自然環境からの収奪と、人間からの果てしない労働搾取(時間と精神の買い叩き)が必要不可欠になる。今から百年も前に、ジョン・メイナード・ケインズ🔗は、今から100年ほどたった自分たちの孫の世代には、労働生産性の向上で、週に15時間働けば生活できる社会が来ると予言していた。POST#1767🔗参照。しかし、そうなっていないのは、なぜか。株価は最高値を更新しても、納税額が史上最高になっても、なぜいつまでも追い立てられるように走り続けないといけないのか。それは、経済システム自体の維持が社会の目的になっているからだ。

「脱成長(Degrowth)」へのシフトが必要なんだ。

経済規模の拡大そのものを目的化するのをやめ、過剰な生産と消費をコントロールし、限られた資源を全員で分かち合う「定常型社会」への移行が、地球にとっても人間の尊厳にとっても唯一の生存戦略だ。実は、人類の社会は有史以前からつい最近の産業革命まで、ずっと定常型経済だった。その状態に戻れとは言わない。けれど、社会システムの維持のために人間が道具のように使い潰される、工場の部品のように教育される、そんな社会でいいのだろうか?スマホから目を離して考えてみるべきじゃないか?

3. 「生産性」から「ケア(生命の維持)」へ

成長至上主義が「役に立つ人間(=利益を生む機械)」を称賛する一方で、人間が生きていくために本当に必要な営みは常に軽視されてた。

保育を『だれでもできる仕事だから賃金が安いのは仕方ない』と言い放ったタレントだか経営者だか判然としない男もいた。『老人は集団自決したほうがいい』と言い放った若手経済学者がいた。俺は、生涯この手の発想をする人間と与するつもりもなければ、狎れ合うこともない。まぁ、向こうも俺のことなんか構っちゃいないだろうがね。

このGNP至上主義の過熱経済を、少しでも定常経済に近づけていくために必要なのは、ケア労働の復権だと俺は考えている。

子育て、介護、医療、教育、あるいは自然環境の保全など、生命を「ケア」する営みは、数値的な効率化(機械化)に馴染まない。それは地道で、華々しい技術革新とは縁遠い世界だ。だからこそ、そこに価値を見出し、それによって経済を回す。資本を流動させる。なにも浪費されるものはない。どうせ、今後社会のビジネスの大半は、AIに置き換わっていくだろう。その時、本当に価値を生むのは、人間が人間に対して共感し、ケアすることによって生み出されるものだ。

その時は、日々近づいている。今のうちに俺たち自身の価値観を反転させていかなければいけないだろう。

どれだけ金を稼いだかではなく、どれだけ他者や自然をケアし、自らも生を全うできたか。この「生命の再生産」を中心に据えた社会構造(ケア・エコノミー)へと180度転換する必要があるんだ。

いくら金を稼いだところで、ガソリンや電気をガバガバ消費するでかい車に乗り、ブランドのロゴの付いた服をアホみたいに高い金を払って買った挙句、自らあるく広告塔になったり、車が買えるほどの高級時計を身に着ける。そんなソースティン・ヴェブレン🔗有閑階級の理論🔗で描いたような消費活動を世界中の人間がやっていたら、人間のどしょうもない見栄のために世界は破綻してしまうんだ。

子供たちが死を選び、或いはまた社会的な自殺を選んでいる現実は、そして地球が悲鳴を上げている現実は、この「経済のために人間と地球を差し出す」というシステムの物理的・精神的な限界を証明しているんじゃないか。

今、俺や君に、そして社会に求められているのは、経済の枠内での微修正ではなく、「経済を人間のコントロール下に奪い返す」という、文明史的なコペルニクス的転回だといえるだろう。

しかし、皆様お馴染みのダボス会議、つまり世界経済フォーラム🔗に集まる世界のエリートのお歴々には、そんなコペルニクス的な転換をやっちまったら、自分たちによる経済支配と割のいいビジネスが成り立たない。だから彼らは当たり障りのない耳障りのいい言葉を並べてやり過ごしている。これはあの連中に任せておいちゃ、先行きは暗いといわざるを得ないな。

社会の変動は、上から起きても碌な方向に行かない。自分たちの足場を固めて、自分たちのものの見方を変えてゆくことが先だ。俺や君たちは、その日々の営みの中で毎日歴史を紡いでいるんだ。

日本人が気づいていないか、気づいていないふりをしていることがある。

日本はすでに、先進国じゃない。低成長先進国で、なおかつ衰退途上国だということだ。

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