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| 今日もカニでも食らえ。これは静岡のかに本家だ!ファニーだな(笑) |
俺の生まれた愛知県江南市後飛保🔗って土地は、最新の歴史学研究では、あの木下藤吉郎こと後の豊臣秀吉が生まれた場所なんじゃないかという説があるらしい。奈良大学の河内将芳🔗教授が提唱しているようだ。
さて、閑話休題。
現代の日本の高いソーシャルキャピタル(社会関係資本)や「深夜3時でも安全」というリアリティは、一朝一夕でできたものでない。数秒の誤差もなく定刻に到着し出発する電車なんかもそうだ。そんなもの、世界的に見て、非常に珍しい代物だ。こんなものが、一朝一夕にできると思う方がどうかしてる。
日本のソーシャルキャピタルが、世界的に見てこれほど異常なレベルで高く維持されてきた原因の1つは、すごく遠くにあると俺はにらんでる。
そう、冒頭に話した豊臣秀吉が断行した刀狩りや、徳川家康が断行した厳格な銃規制。そこに因縁があると俺は思ってるんだ。
何百年も前に遡る豊臣秀吉の「刀狩り」と徳川家康(および江戸幕府)による徹底した「銃・武器規制」こそが、日本人の「非武装の文化」と「お互いを信頼する社会構造」の決定的なターニングポイントになったという説は、歴史学や社会学の観点からも非常に強く支持されています。
なぜその400年以上前の政策が、現代の日本の治安の良さにダイレクトに繋がっているのか、その因果関係を紐解いてみよまい。
秀吉の「刀狩り」。それは暴力の独占と「民衆の非武装化」だったんだ。
秀吉が1588年に断行した「刀狩り」の最大の功績は、「民間人が武器を持って自らを守る(自力救済の)時代」に終止符を打ったことだ。
マックス・ヴェーバー🔗が国家とは暴力の独占機構だと喝破する300年も前に、武装=暴力を権力に一元化しやがったわけだ。時代感覚が狂ってるぜ。世界には今でも住民が銃を持つことが合法とされている国はゴマンとある。
中央アジアから中近東にかけて、対テロ戦争という終わりのない戦いに挑んだアメリカは、現地の民兵に苦しめられた。そして、そのアメリカ自体も、何度学校に無差別銃撃が起こっても、国民が銃で自衛する権利を手放そうとしない。煎じ詰めればヴァイオレンスでしかヴァイオレンスを抑制できないと信じている国民性なんだ。
じゃあ、それまでの日本、つまり室町戦国時代の日本がどんな有様だったかって?
みんな黒澤明の七人の侍なんか思い浮かべるかもしれないな。無法な野武士たちの略奪にさらされ、領主からは年貢を搾り取られながらも、安全保障など期待できず、怯えながら生きる、それでいてしたたかな連中の姿だ。
しかし、現実は違ったんだ。
農民も商人も全員が武器を持ち、村同士の境界線争いや水争いは、自分たちの武力で解決するのが当たり前だった。
清水克之🔗の『室町は今日もハードボイルド🔗』を読めば、そんな実例が詳細に記されている。わずかな土地と利権をめぐって、隣接する村落が、局地戦を繰り広げる。守護大名が配下の守護代に鎮圧を命じる。派遣された武士団とも衝突する逞しいったらありゃしない民だ。守護代は自らの手勢だけでは抑えきれず、血縁を頼って遠国より応援を呼んで、何とか仲裁・鎮圧するというほどのヴァイオレンスぶりだったわけだ。
これは現在の「誰もが銃を持って自衛するアメリカ」の構造と全く同じだ。いや、それ以上のものがある。懐かしい永井豪の漫画、バイオレンスジャック🔗や原哲夫の北斗の拳🔗みたいな世界だ。モヒカンでどこから調達したか不明なガソリンで動くバイクに乗ったならず者はいないが、ちょんまげに槍や日本刀で武装した百姓町民がそこいらでちゃんちゃんバラバラやっていたんだ。
そんな状況に終止符を打ったのが、日本全国の武力による統一を成し遂げた豊臣秀吉だ。
刀狩り以降: 武器を持つ権利を「侍(お上の警察力・軍事力)」だけに制限し、民衆から「暴力という手段」を物理的に奪いました。
それだけにとどまらず、総無事令や喧嘩停止令を発布し、武力衝突で争い、シロクロつけることを禁止したんだ。
いいかい、それは戦国時代の終わりを告げるものだったんだぜ。戦国時代の大きな特徴は、「自分の身や土地は、自分の武力で守る(自力救済)」という文化だった。秀吉はこれを法律で禁止したわけだ。今のアメリカよりも遥かに進んでいる。
惣無事令は、大名同士の私闘を禁止する命令だ。「大名間の領土争いは、戦ではなく天下人(秀吉)の裁定に委ねよ」と命じ、これに違反した島津氏や北条氏を討伐する大義名分としたわけだ。つまり、俺の言うとおりにしないと、日本中を敵に回すぞってことだ。
一方で喧嘩停止令は、 百姓・村同士の武力衝突を禁止する命令だ。山や水を巡る村同士の日常的な争いに対し、武器を使って解決しようとした者は厳罰に処されることになったわけだ。
これにより、トラブルが起きた際に「力で解決する」のではなく、「行政や話し合いで解決する」という社会的ルール(法治の基礎)へ移行する道筋が日本社会に生まれたといっても過言ではないだろう。
そして、この秀吉の敷いたレールをさらに延伸したのが徳川家康の『銃規制』だ。これこそ、世界でも類を見ない「銃の放棄」だ。
戦国時代の日本は、実は世界で最も鉄砲(火縄銃)を多く所有・製造していた「超・銃社会」だった。当時のヨーロッパ全土にあるよりも優れた銃がより多く存在していたんだ。織田信長が組織的な銃の戦術的使用を極限まで推し進めたおかげさまだ。
しかし、豊臣家を滅ぼし、元和偃武を成し遂げた徳川家康とその後の江戸幕府は、世界史でも奇跡と言われる「国家規模での鉄砲の廃絶・徹底規制」を成功させちまったんだ。
それを可能にしたのは徹底した一元管理システムだ。幕府は鉄砲の製造場所(国友や堺など)を完全にコントロールし、許可なき製造・所持を厳罰に処すとしたんだ。
また、大名といえど、江戸に鉄砲を持ち込むことは許されなかった。
250年以上続いた江戸時代を通じて、日本人は「日常空間に飛び道具(銃)が存在しない社会」を当たり前のリアリティとして骨の髄まで染み込ませてきたわけだ。そう、「銃を持たない日常」の定着だ、
この歴史的経験があるからこそ、明治維新で近代化(廃刀令など)し、戦後に銃刀法が制定された際も、日本人は大きな抵抗なく「民間人は武器を持たない」というルールを受け入れることができたわけだ。
ここに、現代のアメリカとの決定的な違いがある。
アメリカがなぜ「誰もが銃を持てる社会」から抜け出せないかと言えば、彼らの建国の歴史が「民衆が自前の銃を持ってイギリス王室(国家の暴政)と戦い、勝ち取った国」だという建国のナラティブがあるからだ。
だからこそ、これが合衆国憲法修正第2条の根拠となってるんだ。
彼らにとって、銃を捨てることは「自由の放棄」を意味するため、現実から一歩を踏み出すための歴史的土台が日本とは根本的に異なっているんだ。
銃で意見の異なる者を撃ち倒す。その考えが社会の根底にあるんだ。そして、人は必ずしも、善良ではない。だから、その銃で自らの悪をなす自由を行使して、他者を害する者は絶えない。そんな社会で、夜中の3時に若い女の子がループで都心を駆け回ることができるとお思いか?
一方で日本は、秀吉や家康という強力な統治者によって、400年も前に「民間人は武器を持たず、お互いに不意打ちで殺される恐怖のない空間」の土台が完成していたんだ。
一朝一夕ではないってのは、そういうことさ。
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「自分の身は自分で武器を持って守る」という過酷なリアリティを背負い続けているアメリカと、400年かけて「武器を持たない、他者を信頼する」というリアリティを熟成させてきた日本。
この社会の相違は、秀吉の刀狩りや家康の銃規制という歴史の超長期的な社会運営があるからこそ、「武器を持たない丸腰の女の子が、夜中に1人で出歩ける」という、世界中が嫉妬するほどのソーシャルキャピタルが今なお維持されているんだ。
これに加えて江戸時代、5代将軍綱吉などが積極的に取り組んだ朱子学の社会への復旧が、日本人の気性を決定的に変えた。
それまでは戦国の荒々しい気風を残した社会だったのが、これでがらりと変わってしまったわけだ。
『生類憐みの令🔗』で悪名たかい徳川綱吉🔗の時代における「武断政治から文治政治への大転換」と朱子学(儒教)の本格的な社会浸透こそが、日本人の気性を戦国・荒野の気風から、現代に続く「極めて道徳的で平穏な気風」へとドラスティックに変えた決定的な出来事だ。
そう、武士は戦士からサラリーマン的な官僚へと、変わったわけだ。
秀吉の刀狩りや家康の武器規制が「物理的な武装解除」だったとすれば、綱吉たちの政策は「精神的な武装解除」でだったわけだ。それまでの日本社会は「戦国の余韻」が色濃く残り、博打、辻斬り、誘拐、盗賊、そして暴力による自己主張(かぶき者など)が横行する、非常に血生臭いリアリティの中にありました。
この野蛮とも言える戦国気質が、なぜ綱吉の時代を境に「ガラリと変わった」のか?
綱吉は「戦国気質」の解体という大仕事に挑んだんだ。
5代将軍・徳川綱吉は、歴史の教科書では「生類憐みの令」の悪政ばかりが強調されがちだか、それはステレオタイプなものの見方だ。木を見て森を見ずって奴だ。
近年の歴史研究では「日本の治安と道徳観を近代レベルにまで引き上げた名君」として非常に高く再評価されているんだぜ。
命を軽視する風潮の撲滅: 当時はまだ「気に入らない奴は斬る」「行き倒れの人間や老親は捨てる」「生まれたばかりの間引き(嬰児殺し)は日常茶飯事」という、命を極めて軽く扱う戦国のリアリティが生きていた。
綱吉は「生類憐みの令」によって、動物だけでなく、捨て子、病人、老人、妊婦の保護を徹底的に義務付け、「命を大切にする」という当たり前の倫理を国家権力で人々に強制学習させたわけだ。賢人君主だな。
その一方で暴力への徹底的な処罰を推し進めたんだ。路上での喧嘩や博打、辻斬りに対して厳罰を科し、「力で物事を解決する男らしさ(=戦国価値観)」というマッチョイズムを犯罪化して、社会から徹底的に排除していったんだ。
そしてその思想的バックボーンとして、朱子学🔗(儒教)の浸透を推進して、道徳のシステム化を目論み、見事成功させたんだ。
綱吉は自ら熱心に『論語』や『易経』を講義するほどの学問の徒だった。湯島聖堂(のちの昌平坂学問所、さらに後の東京大学)を建てるなどして、朱子学🔗を統治の基本イデオロギーとして社会の隅々まで普及させたんだ。
朱子学が日本人に教え込んだのは、今も日本社会に息づく平和な「社会のリアリティ」だ。
まず秩序と役職(名分論)だ。
朱子学は、というか幕府はというべきか、親は親らしく、子は子らしく、自分の社会的立場を守り、他者と調和することを掲げた。
そして克己、つまり自己コントロールの大切さを人々に植え付けた。これによって、 己の欲望や暴力的な衝動を抑え、理性的(つまり道徳的)であることを促したんだ。
これが、武士階級だけでなく、都市の町人や農村の指導者層(名主など)を通じて文字通り「日本人のOS(基本OS)」としてインストールされて現在に至るわけだ。
この結果、日本人は「他者の目を気にし、社会のルールを守り、お互いを尊重し合う」という極めて高い社会関係資本(ソーシャルキャピタル)の精神的土台を手に入れたんだ。
そして、その歴史の地続きにある「今の日本の普通」だ。
この「物理的(刀狩り・銃規制)」かつ「精神的(文治政治・朱子学)」な二段階の武装解除があったからこそ、日本は世界でも類を見ない「市民が自警団を作ったり武器を持ったりしなくても、お互いを信頼して平穏に暮らせる社会」になったわけだ。
アメリカのポリコレ活動家が「多様性がない、お花畑だ」と叩く、いじめはあっても差別はない、銃の乱射もない日本の学園アニメのあの平穏な世界も、深夜3時に女性が1人でキックボードに乗って走れる、今の日本の大通りも、その淵源は400年前の施策にあるんだ。
これらは、決してアメリカ人が妄想するような「空虚なファンタジー」などではなく、秀吉、家康、そして綱吉たちが数百年の時間をかけて人々の肉体と精神から戦国の暴力を抜き取り、血を流しながら構築してきた「現実(リアリティ)」そのものなんだぜ。
まぁだからこそ、日本人は同調圧力が強くて、お上頼みで、フランス人のように暴動を起こしてまで政府に物申したり、イギリス人のように連帯して政治を動かそうとはしないというキックバックもあるんだけどね。一言でいえば自主独立の気風を奪われたんだよ。
それに加えて、社会的な立場ある人を盲目的に支持したり、個人の自由や、人々の間の人間そのものとしての平等性に対する感性も要求も乏しくなった。悪くいえば、社会的に家畜化されたんだと言えるだろうな。
とはいえ、この安全で安定した社会の価値は世界に誇るべきものだし、失われたとされる低成長のこの30年でも、まったく損なわれていないことは、驚くべきことだし、もっと評価されるべきことだと思うぜ。

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