| 2015年に東京国立博物館でご対面 |
世界三大墳墓というものがある。
世界三大墳墓とは、エジプトの「クフ王のピラミッド🔗」、中国の「秦の始皇帝陵🔗」、そして日本の「仁徳天皇陵古墳(大仙陵古墳)🔗」の3つのあきれるほどどでかい墓だ。
あの世にゃ何も持っていけないというのに、歴史上の権力者がその絶大な権威を誇示するために造ったものだ。それぞれ「高さ」「体積」「敷地面積」のいずれかで世界最大級の規模を誇っているんだとさ。ご苦労なこった。
その中でも異彩を放っているのが、秦の始皇帝陵だ。延べ70万人以上の労働者を動員し、約40年をかけて造られた巨大な人工の丘です。1974年には、始皇帝を死後も守るために造られた等身大の兵士や馬の陶器人形「兵馬俑」が近くで発見され、世界を驚かせたわけだ。
この兵馬俑は日本でも何度か公開されたことがあるから、実物を見たことがあるという人も多いだろう。俺も以前、東京に仕事で行ったついでに国立博物館で見てきたんだ。
スキタイの王のクルガンから始まった「命を捧げる戦士の文化」は、北方の遊牧民ネットワークを通じて秦へと流れ込み、穆公🔗の大規模な殉死という歴史を揺るがす事件となった。
そして、それに異を唱えた墨子🔗に始まる墨家🔗の合理主義的な思想を生むきっかけにもなったわけだが、その合理主義すら都合よくいいとこどりで取り込んで、始皇帝🔗の陵墓は史上空前の地下王宮になったんだ。スキタイのクルガン🔗→穆公の死に伴う大量殉死→始皇帝陵とつないでみると、歴史のダイナミックな繋がりが見事に地続きになっていることがよくわかるってもんだ。
1. 墨子の思想の「究極の具現化」
墨子たちは「殉死は有能な人材や労働力を失わせ、国を滅ぼす」と激しく批判したんだ。実際に秦は穆公の死後、国力ががくっとなっちまったんだからな。その通りだ。
中華世界を初めて統一し、全国一率の法律、制度、度量衡を採用徹底した秦帝国。その近代的な合理主義思想にも似た法家思想を持っていた始皇帝は、墨家の社会思想家(彼らは考えるだけじゃなく、アクティビスト🔗でもあったんだ!)たちの発想をはるかに上回っていたんだ。
始皇帝はこの合理的な考え方を極限まで突き詰めた。もし、彼の天下統一を支えた何万人もの最強の将軍や兵士たちからなる精鋭軍隊を、始皇帝の死の道連れとして一緒に埋めてしまったら、生まれたばかりの巨大帝国「秦」はまたすぐに崩壊すること必至だろう。そこで始皇帝は、「人間の代わりに、実物そっくりの焼き物(俑)を軍隊ごと埋める」というとんでもない奇策を選んだんだ。
2. 「リアルさ」への異常なこだわり
兵馬俑の凄みは、その圧倒的な「写実性(リアルさ)」にあるだろう。冒頭にあげた写真をもう一度よ~く見てほしいぜ。君に観察力があれば、すぐに気が付くだろう。
そう、一人ひとり顔が違うんだ。約8,000体ある兵士の人形は、顔の表情、髪型、髭の形、体型がすべて異なり、実在の兵士をモデルに作ったと言われているんだ。
そして、写真ではその手は卵でも持ってるような形でひじを曲げているのがわかるだろう。これは本物の武器を持っていたんだ。陶器の兵士たちの手には、レプリカではなく、当時の最新技術で作られた「本物の青銅製の剣や矛、弓矢」が持たされていたんだ。これは、始皇帝が「死後の世界でも、本物の軍隊とまったく同じ戦闘力を持つ軍隊を従えたい」と考えたからに他ならない。人間を生贄に捧げるスキタイ的な呪術文化を、「精巧なフィギュアと本物の武器」という技術力で代替したとしか理解できないよ。
3. 「命」の代わりに「富と技術」を投入した
始皇帝は、家臣の「命(国力)」を奪わない代わりに、即位してすぐにこのプロジェクトXに取り掛かり、国家の「富と技術力」をこの国家事業に惜しみなく注ぎ込んだんだ。
一言で言えば、壮大なる大馬鹿野郎だな。
これほど大量の巨大な焼き物を一度に、しかも割れずに焼き上げるのは、当時の世界最高峰のハイテク技術だったのは、言うまでもないだろう。なんせその頃の日本は初期の弥生式土器が関の山だ。この技術は、のちに中国の最高のお家芸となる「陶磁器(チャイナ)」の発展へと直結していくんだ。
ちなみにこの馬鹿🔗という言葉も、実は始皇帝の息子二世皇帝胡亥🔗の故事に由来するんだ。始皇帝の死後の紀元前207年、権力を我がものにしようと企む秦の高官趙高🔗は、策略を巡らせて始皇帝の長男を自害させて、胡亥を即位させた。そして自分の権勢を試すため、胡亥に鹿を献上し「これは立派な馬です」と言い張ったんだ。
胡亥が「これは鹿ではないか」と笑うと、趙高は周囲の臣下たちに「これは馬か、それとも鹿か?」と問い質しましたんだ。趙高の権勢を恐れる家臣たちの多くは「あれは馬です」と答え、中には沈黙する者もいた。趙高は、自分に逆らった者を次々と処刑したわけだ。この時、皇帝でありながら趙高の嘘を押し切られたのが、始皇帝の末子である二世皇帝・胡亥だ。
始皇帝は、秦を滅ぼすものは胡=異民族だという占いを信じて、万里の長城を作らせたんだが、実際にその占いが示していたのは二世皇帝胡亥その人だったというわけだ。
彼は若くして即位したものの政治に暗く、趙高の甘言と恐怖政治にすっかり翻弄されたおかげで、各地で反乱が同時多発し、秦帝国は15年であっさりと崩壊してしまったんだ!
スキタイの王たちが名馬や若者を殺して墓に並べ、秦の穆公が177人の賢者を道連れにした時代から数百年。始皇帝は「兵馬俑」というシステムを生み出すことで、「王の権威を示すこと」と「国家のマンパワー(国力)を維持すること」を初めて両立させたと言えるだろうが、秦帝国はこの始皇帝陵と兵馬俑を残して、あっさり滅亡しちまったんだ。
このスキタイ🔗から西戎🔗を介して受け継がれた共同体家族システムが、王に対する絶対的な忠誠と共同体的な横の繋がりを産んだってわけだ。これこそが秦をして中華世界を統一させ、今日まで綿々と続く専制国家🔗の基礎を作ったんだ。
スキタイに源流を持つ遊牧民的な共同体システムと、秦が築き上げた絶対的専制国家の仕組みは、一見対極にあるようで、実は「個人の命をはるかに超越した、集団(王)への絶対的な帰属意識」という根底で深く繋がっているんだ。
このシステムが秦を戦国時代の覇者に押し上げ、今日の中国へと続く専制国家のDNAとなったメカニズムについて、さらに構造的に整理してみようまいか。
1. スキタイ的共同体家族システムの「秦」への移植
スキタイをはじめとする北方の遊牧民は、過酷な環境を生き抜くために「強固な血縁・部族の横の繋がり」と「それらを統率する絶対的な長(王)への忠誠」をセットにした共同体システムを持っていた。
秦の国は、この遊牧民(西戎)のシステムをベースに持ちながら、中原の農耕社会を支配していったわけだ。これによって、農耕民の持つ「圧倒的な生産力」と、遊牧民の持つ「強固な集団の結束力・戦闘力」をハイブリッドさせた唯一無二の国家が爆誕しちまったんだ!
2. 商鞅の変法:共同体ネットワークを「軍事マシーン」へ昇華
この「共同体的な横の繋がり」と「王への絶対的忠誠」を、法律によってさらに恐るべき国家システムへと改造したのが、もうお馴染みですね、秦の改革者・商鞅🔗だ。
彼は、遊牧民的な連帯責任のシステムを「什伍の制(じゅうごのせい)」という制度に落とし込んだんだ。
強固な横の繋がり(相互監視と連帯)と王への絶対的忠誠(軍功授爵制)
領民を5軒・10軒の単位でグループ化し、1人が罪を犯せば全員が処罰される連帯責任を負わせたんだ。これにより、もともとあった共同体の強い結びつきが、そのまま国家の治安維持と情報網へと転換されちまった。今日のデジタル監視専制国家中国のルーツはここか!とひざを打つほどのディストピアだな。
おまけに戦場で敵の首を多く取った者には、出自に関わらず爵位(ステータス)が与えられたんだ。王のために命をかけて人殺しに励むことが、家族や共同体を豊かにする唯一の道となったんだ!これまたとんでもないディストピアだな。
共同体が法により無理やり背負わされた「横の強い連帯」が、王というトップの命令によって一斉に同じ方向へ動く「兵器」のようになったことで、秦は他の戦国六国を圧倒する最強の覇者となったということなんだ。
3. 今日の中国まで続く「専制国家」の基礎
始皇帝が天下を統一した際、この秦のシステムを中国全土に広げたのが「郡県制」と「法家思想」による中央集権国家の誕生だ。
王(皇帝)への絶対的な服従を頂点とし、末端の民衆までを強固な集団の枠組み(のちの戸籍制度や単位、現代のコミュニティ管理に至るまで)で管理する構造は、まさに秦がこの時に完成させたものに他ならない。日本の戸籍制度も、淵源はここにあるんだ。
スキタイの過酷な草原から生まれた「生と死を共にする共同体と王への絶対的な絆」が、秦という巨大なレンズを通ることで、世界で最も精緻で強固な「官僚制・専制国家」のシステムへと結晶化したんだ。
そして、王朝がどれだけ交代しようとも、この「強力なトップダウン」と「集団(家族・共同体)への強い帰属意識」という二重構造は、2000年以上の時を超えて現代の中国社会のガバナンス(統治)の底流に生き続けいるから、そりゃ中国が豊かになったからって民主化するに違いないってのは、とんだ見当違いだな。
この人間の命を平気で蹂躙し使い捨て、人権なんて洒落たもんなんざ、ハナから考慮しない共同体家族の社会の構造っていうのは、人間を家畜と同じようなもんだと感覚してるところに由来してるんじゃないかと俺は考えてる。
高野秀行🔗がソマリランド🔗の遊牧民の氏族社会について書いていた内容にヒントを得たんだけどね。つまり、男を一人殺したら、その賠償のために氏族がラクダを100頭、被害者側の氏族に与えることで和解するという話だ。ちなみに女の場合はラクダ50頭。上野千鶴子🔗センセーが憤慨しても、どうにもなりはしない。剥き出しの力の世界だからだ。知性の高みから、実力の地べたに飛び降りていかねば話にならない世界だ。
この考えには、歴史の深層にある、きわめて本質的で、かつ恐ろしいほどの真実を突いた手応えがある。
人間の命を平気で蹂躙し、個人の「人権」という概念がそもそも頭をよぎりもしない社会構造の根底には、「人間を支配者(国家・王)の『家畜(所有物)』、あるいは『資源』としてみなす感覚」が明確に存在している。
この「人間=家畜」という統治の感覚が、スキタイのような遊牧国家から秦の法家思想、そして中国の専制国家のシステムへどのように受け継がれ、機能してきたのかを、3つの視点からさらに構造化してみよまいか。
1. 遊牧民の「牧畜」の感覚:人間と家畜の同質化
スキタイをはじめとする北方の遊牧民族にとって、豊かさや権力の象徴は「どれだけ多くの家畜(馬、牛、羊)をコントロールし、所有しているか」だ。それは現在の遊牧民も変りない。彼らにとって、群れを管理し、時に間引き、生贄として殺すことは日常の当たり前の営みだ。命は軽いのだ。
この感覚が国家の統治にスライドすると、「王(牧羊犬や牧場主)が、領民(羊の群れ)を管理する」という発想に容易にトランスフォームする。
家畜に「人権」や「自由」がないのと同様に、領民もまた、王の所有物であり、国家という巨大な群れを維持するための「頭数(資源)」にすぎないという感覚だ。
王が死ぬときに家畜(馬)を一緒に埋める(殉葬)のも、側室や部下を一緒に埋める(殉死)のも、彼らにとっては「自分の所有物をあの世に持っていくだけ」という、まったく同じ次元の行為だったわけだ。甘っちょろい現代人、とりわけお利口な人たちには、絶対に理解できないだろう。しかし、世界は美しく、かつ残酷なんだ。
2. 秦の法家思想が完成させた「人間牧場」のシステム
秦を最強の国家に仕立て上げた法家(商鞅や韓非子など)の思想は、この「人間を家畜として扱う」ガバナンス(統治)を極限まで洗練させ、システム化したものだ。
法家思想の基本は、「人間は利益で釣り、罰で脅さなければ動かない生き物である」という冷徹な人間観に基づいている。これはまさに、餌(報酬)と鞭(暴力)で動物を調教する「家畜の飼育法」そのものだ。
俺がかつて一緒に働いていたお客の一人は、若者を指導するのに『人は恐怖と痛みで教え込むしかない』と漏らしたことがあった。俺は、その言葉を聞くたびに、暗闇で得体のしれない節足動物に触れたようないやな気分になったもんだ。要はその感覚は、実は現代の日本でも社会の底流に流れている。それはまた別の流路によるものだが、その流路の解剖は今触れる時ではないんだ。
農戦の法と名前ではなく「数」での管理
秦の官僚たちは、領民の役割を「農業(食糧生産)」と「戦争(敵を殺すこと)」の2つだけに限定した。これは、牛には畑を耕させ、馬には荷物を引かせるという、家畜の機能特化と完全に一致しているだろう。単機能に特化した人間が、民主主義を担えるはずがないと懸念したのは『アメリカのデモクラシー🔗』でおなじみのフランスの思想家トクヴィル🔗だが、まさに農業と人殺しだけを担う家畜化された人々が、自由を考えることはないよな。
また、彼ら法家官僚が『戸籍』を作って民衆を細かく分類・管理したのも、家畜の耳にタグをつけて管理するのと同じ発想だ。今風に言えば、スーパーの肉の切り身のトレーサビリティーだ。そこでは個人の尊厳や内面の自由なんざ、国家を運営する上での「ノイズ」として徹底的に排除されるわけだ。
3. 「人権」の不在と、現代まで続く「先制統治」の遺伝子
西欧で発展した「人権(天賦人権思想)」は、神の下に個人が独立した尊厳を持つという前提から生まれた。
しかし、秦が基礎を築いた中国の専制国家システムにおいては、社会の最小単位は「個人」ではなく、常に「家(族)」や「集団」という共同体だ。そしてさらに言えば、それを包括する「国家」そのものだ。
この国家はホッブス🔗が描いたリバイアサン🔗とはまた別の化け物だといえるだろう。あえて言えば、中国古代の銅器に描かれた『饕餮🔗』、満足することを知らず、すべてを食らいつくすキメラ的な化け物だ。
国家という巨大な生命体を維持し、豊かにするためであれば、その構成員である「人間という名の細胞(あるいは家畜)」がどれだけ犠牲になろうとも、それはシステム上「正しいこと」と処理されてしまうんだ。
この、人間を「人格を持つ個人」としてではなく、「国家の目的を達成するための生体パーツ・資源」として冷徹にカウントする統治の冷酷さは、まさに秦の時代に完成し、形を変えながら現代中国のデジタル監視社会のガバナンス(管理社会)の底流にも脈々と生き続けているといえるだろう。
俺たち日本人が、膨張する中華人民共和国に対して本当に守るべきものは何なのか。簡明な読者諸兄諸姉はもうお分かりですね。
そう、基本的な人権を尊重するという旗幟を鮮明に掲げる日本国憲法の精神そのものだ。覚えておいてくれ。
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