2026/06/27

POST#1890 中国だってはじめから専制主義国家だったわけないんだ。ちゃんと訳があるんだぜ。

越南、河内、百越の末裔たちがスクーターで疾走する
君たちに話したいことが頭の中を渦を巻いている。しかし、肉体的な能力には限りがある。

現に昨日も13時20分から市の商工会議所で、年金事務所の電子申請の講習を受講することになっていたんだけど、目を覚ましたの13時という素晴らしいタイミングだった。何とか間に合ったものの、仕事を終えて寝落ちしていたので携帯電話の充電は切れていたという素晴らしさだ。おまけにその夜に仕事を終えて帰る時、車のルーフキャリアに脚立を乗せ、縛るのを忘れたまま帰途につき、走り出して1キロくらい行ったところで車の屋根から吹っ飛ばしてしまった。後続車がいたらと思うとぞっとするぜ。猫の子一匹もいない真っ暗な夜道でよかったよ。

そして這う這うの体で帰り着いてから、仕事のレポートをまとめてから歯医者に行ったんだ。あまりに疲労困憊してて、歯を削っても、歯の型を取ってもその間眠りまくっていたぜ。

スティーブ・マーティン🔗が、リトル・ショップ・オブ・ホラーズ🔗で演じたサディストの歯医者🔗だったらよかったな。

おまけに息子は40度まで発熱しひっくり返ってる。カミさんは指に鉛筆が刺さったので、その芯を切除してもらったおかげさんで、水仕事ができないという。ひどい有様だ。

さらに最悪なのは、七月は仕事があるからあけておいてといっていたお客が、例によってあるある詐欺だった。このままじゃ七月は読書週間だ。まぁ、それも悪くないけどね、お金さえあれば。俺のっ仕事は労多くして見返りの少ない仕事なのさ。おまけに、女房子供に老いた父親、どいつもこいつも俺の稼ぎを虎視眈々と狙っているんだ。たまらないぜ。

まぁ、愚痴はこんなもんにしよう。

ウィリアム・ブレイク🔗の『エルサレム🔗』の一節を思い出すんだ。

Bring me my Bow of burning gold:我が燃える黄金の弓を

Bring me my Arrows of desire:渇望の矢を

Bring me my Spear O clouds unfold:群雲の槍を

Bring me my Chariot of fire!炎の戦車を 与えよ!

I will not cease from Mental Fight,精神の闘いから ぼくは一歩も引く気はない

Nor shall my Sword sleep in my hand,この剣をぼくの手のなかで眠らせてもおかない

みんな大好きエマニュエル・トッドの説くところによれば、もともと中国は直系家族だったんだ。

周王朝🔗は、王の兄弟や子供や功臣に、各地域の領土を与え、代々統治していくという封建制🔗をとっていたんだ。昨日も話した晋🔗をはじめ、燕🔗衛🔗魯🔗呉🔗はみな周の王室の分家で『姫🔗』姓なんだ。秦に対抗した東方の大国・斉🔗太公望呂尚🔗 の後裔だから姜🔗姓だ。これも中国の西方に住んでいた氏族だな。これに対して秦🔗は、先日も話した通り、もともと中原の辺境で馬の生育を担う遊牧系の氏族が現在の陝西省あたりに領地を与えられたことから始まる国だ。要は外様というかちょっと格下だったんだ。

ちなみに揚子江以南に位置する南方の楚🔗の国は、うちは南蛮🔗で周王朝とはうちは何の関係もないぜというゴーイングマイウェイなスタンスだ。だから他所と違って諸侯と名乗る気はないし、最初から自らの王を戴くという独自路線だった。

東南の越🔗の国などは、百越🔗といわれるような東南アジア系の異民族の部族国家だったわけだ。ちなみにベトナムというのはこの越の南、越南を当地の言葉で発音したものがヴェトナムということだ。

このが秦が西方の遊牧民西戎🔗を取りこみ、晋が北方の遊牧民北狄🔗と混交に失敗したことによって、国が結果的に分裂して戦国時代に突入していくことになったわけ。

で、結果、秦の始皇帝によって中国全土が統一され、文字も度量衡も、法も統一されていくことで、秦が西戎との民族混交によって手にした『共同体家族』っていうユーラシア中心部の先進的な家族システム・社会ステムが中国社会に移入されるようになったという構図さ。

それによって、現在のこの中国の共産主義体制まで続く社会システムの基盤ができたという構図が描けるんだ。

俺は、黄河🔗を治水することで夏王朝🔗を建てた禹帝、夏王朝の後を受けた東夷🔗系ともいわれ、強固な先祖崇拝を持っていた殷王朝🔗、そして、西方の騎馬民族から天空神テングリの思想を拝借し、天を祀り、殷から周へと天命が移ったと主張して易姓革命🔗を成し遂げた周あたりまでが、直系家族だったと思っている。

それ以前の、伝説の堯帝🔗舜帝🔗などは王権を禅譲🔗、つまり人望のあるものに譲っているので、これは男系男子とかの血の継承を重視する『直系家族』ではなく、もっとテキトー極まるアノミー🔗な、核家族を主体にした部族社会🔗だったと考えてるんだ。

昨日も君たちと話したことだけれど、がっちりした西方の異民族の共同体家族システムを取り込んだのは秦が先鞭をつけてるんだけど、もうすでに周王朝が打ち立ててて中国に持ち込んだ天🔗の概念の発生まで、その共同体家族の中国社会への移入の萌芽はさかのぼってるんじゃないかなと思ってるんだ。

トッドのいう中国の「直系家族から共同体家族への移行」の契機、および現在の全体主義(共産主義)へ至る「外圧による構造変化」の起点として、周代の天命思想の誕生を位置づけることは、論理的に極めて整合的だと思うよ。

この、ちょと面倒な連関をトッドの家族理論と歴史的文脈からさらに補強・整理すると、以下の3つのポイントに集約されるだろうな。

1. 殷・周の転換と家族構造のシフト

トッドの分類において、中国の「共同体家族(複数の既婚の息子が親と同居し、兄弟が平等な遺産相続権を持つ、権威主義的かつ平等主義的な家族)」は、強力な中央集権国家や共産主義(全体主義)を生み出す土壌とされます。

殷代(直系家族的な萌芽)

殷は祖先崇拝(血統の重視)や王位の「兄終弟及(長男への集中、あるいは世代内継承)」など、直系的なタテの権威を重んじていました。

周代(共同体家族への「最初のクサビ」)

周が導入した「宗法制度(同姓の親族を各地に封じる封建制)」は、のちの共同体家族の基本ユニットとなる「宗族(血縁共同体)」の基盤を作ったのは、うえでの話した通りだね。

そして、何よりも俺が疑ってるのは「天=テングリ🔗」という超越的な外部の神の導入こそが、特定の血統(直系)の絶対性を揺るがし、地上の人間集団を「天の下の平等(のちの四海同胞思想)」へと向かわせる、共同体家族特有の「平等主義」への最初のブレイクスルーであったとんじゃないかと考えてるんだ。それで、殷の支配の正当性を否定して、天によって支持された『革命』=『易姓革命』という王朝交代を正当化したって寸法だ。

2. 遊牧民との混交がもたらす「共同体家族」の完成

トッド自身は、中国における共同体家族の確立(直系からの移行)を、昨日も話したような後生の「秦の商鞅の変法🔗(紀元前4世紀)」や、漢代以降の「北方の遊牧民族(五胡🔗)の侵入・混交(46世紀)」の時期に強調して位置づける傾向があるんだよ。

俺はそのPOINT Of NO RETURNは秦の穆公🔗による西戎🔗の支配と同化政策にあったとにらんでるんだがね。

しかし、歴史学的に見れば、その遊牧・半農半牧民族との混交プロセスは、まさに「周」の台頭そのものから始まっているんだ
周は西北の遊牧民(犬戎や羌族=これが太公望呂尚の部族だ)と同盟を結び、あるいは彼らの文化を内包しながら中原を制覇したんだ。つまり、トッドがのちの時代に見た「遊牧民の文化的インパクトによる家族構造の共同体化」という現象の、世界史上最初の巨大な震源地こそが周代の易姓革命だったと言えるんじゃないかな。

3. 周から秦、そして現代共産主義への一本の線

ここでニューヨーク大学教授のデイヴィッド・スタサヴェージの『民主主義の人類史🔗』を紐解いてみよう。彼の考察によれば、古代中国は「中央集権的な官僚機構」が早期に完成したため、支配者が民衆の同意を必要としない「オートクラシー(専制政治)🔗」が定着し、世界的に見ても突出して早熟な全体主義国家の確立がなされたため、その後の歴史において発芽して発展してゆくべきだった民主主義の芽が、完全に摘み取られたっていうんだ。

『民主主義の人類史』のなかで、スタサヴェージが指摘する「秦代における官僚制の完了」と、トッドが指摘する「共同体家族による共産主義の受容」は、周代の「天」という概念の発生によって以下のように一本の線でつながっていくだろう。

【周代】

遊牧民的要素(テングリ/天)の流入

 

血統(殷の祖先崇拝)の絶対性を否定 = 「天命(普遍的な正義・ルール)」の誕生

 

【秦・漢代】

血縁に依らない「非人格的な官僚制」のインフラ(秦の官僚制)へと洗練

同時に、宗族による「共同体家族」の社会基盤が定着

 

【現代】

権威主義(官僚)× 平等主義(共同体家族) = 中国共産主義体制の完成

ざっくり図式化すれば、中国を2000年以上にわたって規定することになる「個人の自由よりも、超越的なシステム(天・国家)と集団の平等を重んじる構造」は、すでに紀元前11世紀の殷周革命(天の抽象化と遊牧民文化の融合)の時点で決定的な遺伝子が植え付けられていたという視点は、極めて説得力があるんじゃないかな。


トッドの「家族構造の転換」とスタサヴェージの「専制(オートクラシー)の完了」を接続するとき、まさに「覇者(覇権主義)」の台頭こそが、社会をそれまでの安全弁から引き剥がし、破滅的な結末へと向かわせるトリガーになるんだよな。

この危険の本質は以下の3点に整理できるだろう。

1. 「天(テングリ)」という抑止力の崩壊 [1]

周代に生まれた「天命」という概念は、もともとは地上の絶対的な独裁者を作らないための安全弁(ブレーキ)だったはずだ。

つまり、「どれほど強い王でも、徳を失えば天によってリセットされる(易姓革命)」という共通のルールがあったからこそ、周代の前半は緩やかな秩序が保たれていたんだ。

ちなみに儒教の本家本元の孔子が理想にしていた社会の姿がこれだ。

しかし、春秋戦国時代になり「真の覇者(圧倒的な軍事力で他を圧倒する国)」が登場すると、この天のルールが徐々に無視されるようになっていくんだ。

「天命があるから勝つ」のではなく、「軍事力があるから勝つ」という生々しい力への信仰への先祖返りが起きるわけだ。これが最初の決定的な危機だったんだ。

2. 直系家族のセーフティネットを破壊した「秦(法家)」の危険性

トッドの視点から見ると、中国史において「真の覇者」となったが行ったことは、社会の遺伝子を暴力的に書き換える実験以外の何物でもないね。

もともと周代の「宗法(儒教的・直系家族的秩序)」のもとでは、人々は家族や一族(宗族)のネットワークによって守られていたんだ。国家が暴走しても、一族がクッションになって個々人を守ってくれたわけだ。

しかし、秦の商鞅(しょうおう)が行った変法(改革)は、「息子が成人したら強制的に家を分けさせ、同居を禁じる(家族解体)」という極端な政策だったわけだ。一見核家族化を促しているように見えるけれど、氏族共同体を解体し、王の権威と法の下に強制的に分断された人々を包摂するという、今日の右派政治家がよだれを垂らして模倣しようと躍起になるようなシステムだ。

目的は、一族の絆を切り離し、バラバラになった個人を国家の官僚制と軍隊に直接直結させるためにほかならない。

これによって秦は最強の覇者となったんだけど、同時に「国家の暴走を止める中間共同体が消滅する」という、トッドのいう全体主義・共同体家族化への決定的な罠(亡国の危機)に自らの社会を追い込んじまったんだ。ある意味デッドロックだ。

3. 「覇者」の宿命:持続不可能な専制と亡国 [1]

結果として、すべてのライバルを滅ぼして「真の覇者」となった秦は、わずか15年で滅んだ。
あまりにも急激に官僚制と専制(オートクラシー)を極限まで高め、社会の家族構造を破壊して統制したため、システム自体が自重に耐えきれず崩壊したんだ。要はキックバックしたってことさ。

しかし恐ろしいことに、秦という国家が滅びた(亡国)後も、彼らが作った「非人格的な官僚制」と「国家が個人・家族を直接支配するシステム」のインフラだけは、その後の漢代以降も中国の基盤として残り続けて、今日の中国共産党政権まで2000年以上続いているというすさまじいことになっているわけだ。 

あぁ、今日は本当は西戎や北狄といった遊牧民族の連中に共同体家族っていう強固なOSをインストールした『スキタイ』文明まで話を進めたかったのに、俺の体力は限界だ。

読まされる方もたまったもんじゃないだろう。消化不良になっちまうさ。また明日話し合おう。失礼する。

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