2026/07/26

POST#1919 ケアによって人々をつなぐトークンという構想 第5章

ハノイ、ヴェトナム
この問いこそ、このシステムが単なる経済理論ではなく、本当の意味で「誰も取り残さない福祉」になれるかどうかの境界線だ。悩ましいな。

肉体的に頑丈なギグワーカーは草むしりができるだろう。しかし、「寝たきりの人」や「重い障害を抱えた人」がトークンを使い切ってしまったとき、次に自分が差し出せる「カインドネス」が肉体的な労働(等価交換のロジックに近いもの)だけだと、彼らは再び「何もできない弱者」に転落し、システムから排除されてしまう事になるだろう。

悩ましいな。

「人の話をひたすら聞いてあげる」ことも立派なケアかもしれない。だが、それすら体調によって難しい日もあるだろう。また、知的障害のある人には難しい課題かもしれない。

この究極の問いに対する答えを、デヴィッド・グレーバー🔗の思想や、俺たちがこれまで積み上げてきたロジックから3つの解決策としてひねり出してみよう。屁理屈かもしれんがね。

1. 寝たきりの人は「存在するだけでトークンが湧き出る」仕組み(ピケティ×MMT)

そもそも、このトークンの最初の発行権、つまり初期ドロップ対象は、老人やシングルマザー、障害を抱えた人に配られる設計だったはずだ。

これを一回切りではなく、「寝たきりの人や重度の障害を持つ人の元には、定期的に(例えば毎月とか、半期に一度とかね)ベーシックインカム🔗のように自動でトークンが給付される」というルールにするんだ。

このトークン自体が、ゲゼル通貨🔗のように年四回の納税時期に合わせて価値を焼却してしまう事を考え合わせれば、これは当然そうすべきだろう。でないと、このトークンは一回こっきりの親切フェスティバルで終わってしまうからな。

なぜこれが許されるかというと、彼らが「草むしりをしてほしい」「ゴミを出してほしい」とトークンを使って誰かに迷惑をかけること自体が、仕事に溢れたギグワーカーたちに「就業の機会」と「市民税を払う権利」を創出しているからだ。

つまり、彼らは「まさに心臓が動いているだけで、地域社会にケアの需要を生み出し、社会に連帯を生み出す、地域経済のポンプを動かしている主役=地域社会の心臓」という考えだ。苦し紛れのようだが、アントニオ猪木🔗の風車の理論みたいなもんだ。風車は下まで降りたら、次は上がるしかないからな。

2. 「ただ生きて、そこにいて、受け取る」という究極のケア労働

グレーバーの『ブルシット・ジョブ🔗』の逆を考えてみよう。

無意味な仕事(ブルシット・ジョブ)の対極にあるのは、「人間の存在そのものを肯定するケア」だ。

寝たきりの人が、若者に草をむしってもらい、若者の話を「うん、うん」と聞き、若者が「自分は役に立っている」と実感する。この「若者に、誰かをケアする喜び、すなわち人間としての尊厳を与えること」自体が、寝たきりの人が提供している極めて高度なケア労働だという見方だ。苦し紛れだというなら言えばいい。しかし、そういう人間の存在を容認しない先にあるのはナチスのT4作戦🔗やまゆり園事件🔗のような愚行だ。

俺たちは、そういう愚行を繰り返してはいけないんだ。

故にこそ、彼らが「ありがとう」と微笑むこと、あるいは「助かったよ」と若者に伝えることそのものが、トークンを支払うに値する最大の「カインドネス」に値することができるんだ。

3. 「過去の貸し」が巡り巡って還ってくる(クラ貿易の真髄)

マリノフスキー🔗の「クラ貿易🔗」を思い出してほしい。権威ある宝物とされる貝殻の首飾りは、島から島へ何年もかけて旅をして、忘れた頃に自分の元へ戻ってくるんだ。

寝たきりのおじいちゃんも、若い頃や体が動いた時期に、誰か(あるいは子供会や町内会)にたくさんのカインドネスを「贈与」してきたはずだ。その時まいた種が、何十年という時間をかけて地域をグルグルと回り、今度は「トークン」という形になって、自分が動けなくなった時に還ってきたと考えよう。

つまり、「今すぐ何かを返さなくていい。あなたが過去にコミュニティに尽くしてくれたこと、あるいはこれから子供たちが繋いでいく未来への投資」として、トークンは常に彼らの手元に供給され続けるわけだ。

「能力」ではなく「存在」を肯定する

肉体が動かない人はどうするのか」という俺の突き当たった問いは、俺たちが無意識に「何か役に立つ労働をしなければ価値がない」という資本主義の洗脳(能力主義)に囚われていたことをあぶり出しちまったな。

故にこそ、立ち止まって考えなければいけない。

人間を手段として扱うのではなく、同時に目的として扱えという、カント🔗の言葉を思い出そう

寝たきりの人は、何かを「する(Do)」必要はない。ただ「そこにいる(Be)」だけでいい。彼らが安心して「わがままに、堂々と迷惑をかけられる」ことこそが、このケアトークン経済が回るための最大の原動力でもあるんだ。そして、人間は、今日は健康でも、いつ何時自分自身がそのような境遇になるか分かったもんじゃない。そして、例外なく病み、例外なく老いさらばえ、例外なく衰えた末に死んでいく存在だということを忘れてはいけない。

「ただ生きているだけで価値があり、トークンが回る」。

この、能力主義を完全に破壊するルールについて、「寝たきりの人は、存在するだけで周りを幸せにしている=地域経済を回しているんだ」という新しい常識を地域に根付かせるべきなんだ。「寝たきりの人、障碍を持っている人は、存在するだけで回りを不幸にする」という誤った思想のもとに、俺たち人類は様々な愚行を犯してきた。偽善だというがいいさ。けれど、君は自分の親族に対して、『あなたのおかげで私たちは不幸だ。早く死んでくれ』と言い得るのか?自問してほしい。

この考えの前に最も大きな障害として立ちはだかるのは、健康で正しい人々だ。

反骨の詩人・金子光晴🔗も『健康で正しいことほど、人間を無情にするものはない』と謳っていた。

何しろ寝たきりだろうが何だろうが、その人たちだって生きていかなけりゃならないんだ。この定期的にトークンを支給し、地域社会のソリダリティ=連帯の起点になるという意味も込めて、ベーシックインカムみたいな考え方っていうのはいいかもしれないな。

だけど日本の政治家達や行政を担う人たちは、いつだってそういう困ってる人たちだけに何かを渡すのは不平等だって言いだすんだ。十分な所得のある人にも平等に支給すべきで、生活困窮者や社会的な弱者にだけトークンを渡すのは不平等だとか言って言い出すんだよ。

そして、自分たちは何も困っていない普通の人たちが、スクラムを組んで、困窮者を自己責任だとつるし上げる。ところで、普通ってなんだ?

まったく見苦しいぜ。それは平等の問題じゃなくて、公正の問題なんだけどな。

日本の行政や政治家が最も囚われている呪縛、それが「一部の人だけに配るのは不平等だ」「不公平感が出る」という、あの硬直した「公平性の罠」だんべ

生活保護バッシング🔗や、困窮者支援に対する「ずるい」という世論を見てもわかる通り、この「一見正しいようで、実は弱者を切り捨てるだけの公平論」を突破しない限り、行政(中核市や県)を事業主体に巻き込むことはできない。

しかし、彼らが言う「不平等だ!」という反論に対しては、クナップ🔗MMT現代貨幣理論🔗)、そしてトマ・ピケティ🔗のロジックを使って、完全にぐうの音も出ないほど論破(あるいは納得)させることができるんだ。

行政の頭の固い役人や政治家を黙らせるための、3つの強烈なカウンターロジック提示してみよう。

1. 「これは福祉ではない。地域経済を回すための『インフラ投資』そのものだ」(MMT🔗クナップ🔗論)

政治家は「困っている人にお金を恵む=福祉」と思うから不平等だと言いたがる。
ならこっちは、その論理を180度トランスフォームしてみようぜ。斜に構えるどころの騒ぎじゃない。さかさまに転倒した社会通念を、まっすぐ立て直すのさ。
「これは恵みではなく、地域経済というエンジンを回すための、最初に着火剤としてトークンを投入する行為だ」と説明するわけだ。
お金ってのは、貯め込むだけの人のところに配っても流動しない。

生きるために使わざるを得ない困窮層や、生計を立てることが困難になった高齢者に最初に配る。つまり初期ドロップするからこそ、猛スピードで近隣の住民や、草むしりのギグワーカーへと流通し、資本の流動性を産みだし、地域を徐々に活性化していく。
一番早くお金を回してくれる効率的なセクター(弱者)に、経済対策としてファースト・ドロップしているだけだ。結果として地域全体にトークンが行き渡るのだから、これ以上公平な投資はない」と突きつけるって算段だ。

2. 「結果の平等」を作るための「傾斜配分」である(ピケティ論)

トマ・ピケティ🔗が証明したように、最初から全員に同じ量を配る(一律給付する)と、元から資産や技術を持つ強者がさらに富を独占し、格差は広がる一方だ。これは十分に資産を持っていたり、高給優遇されている官僚の考えそうなことさ。
「スタートライン(資産や肉体の頑丈さ)がこれだけ不平等な社会において、一律に配ることこそが最大の不平等(格差の固定化)である。地域社会全体の紐帯(ちゅうたい)をフラットに保つためには、最もケアを必要とする場所に厚く配る『傾斜配分』こそが、真の公平(平等の実現)である」というロジックだ。

3. 「行政のコストを一番減らしてくれる人への『正当な対価』だ」

寝たきりの高齢者やシングルマザーがトークンを使って「迷惑をかける(ゴミ出しや子守りを頼む)」行為は、市役所が本来やるべきだった福祉業務を代わりに発注してくれている行為なんだ。
「彼らがトークンを消費してくれないと、ギグワーカーの仕事(就業保証プログラム)も生まれず、トークンによって信用創造した市民税の回収もできない。彼らは市に代わって『地域経済の需要』を作り出している最重要の功労者であり、その役割に対してトークン(ベーシックインカム)が発行されるのは当然の権利だ」と説明するわけだ。

「不平等」という言葉の定義をひっくり返す

役人が「不平等だ」と言ってきたら、「では、就職氷河期世代🔗が孤立し、寝たきりの高齢者が孤独死🔗していく現在のシステムは、市民に対して公平と言えるのですか?」と切り返すべきだろう。これこそが、『公共善🔗』の精神だといえるだろう。

彼らの言う「形式的な公平」がいかに地域を滅ぼすか、俺や君たちが話し合っている「弱者起点のベーシックインカム」がいかに地域全員を救うか。君はどっちがいい?

彼らは平等と公平の違いがわかってないんだ。一番の核心はそこにある。

行政や政治家は「平等(Equality)」と「公平・公正(Equity)」の決定的な違いを全く理解していないんだ。彼らが「不平等だ」と騒ぐのは、全員に同じ踏み台を1個ずつ配るような表面的な「平等」ばかりなんだ。それでは、背の高い強者はさらに見やすくなり、背の低い弱者(寝たきりの人や困窮するギグワーカー)は踏み台をもらってもフェンスの向こう、つまり社会そのものが見えないままなんだ。まったくひどいもんだ。

俺や読者諸兄諸姉が目指しているのは、「最初から踏み台が必要ない強者には配らず、フェンスが見えない弱者に必要な分だけの踏み台を厚く配ることで、全員が同じ景色を見られるようにする『公平(公正)』」であるはずだ

この「平等と公平の違い」の視点から、行政の脳みそをアップデートしてやろうぜ。

「平等」という名の思考停止を暴く

  1. 資本主義が生んだ歪みを正すのが「公平」の役割
    現在の自民党・経団連的なシステム(新自由主義)が、氷河期世代を放置し、格差をここまで広げた時点で、スタートラインはすでに完全に不平等だよな。俺は、そんな境遇に置かれた連中をごまんと見てきた。政府や財界は、不平等な状況を自由な働き方という偽りの言葉で称揚した。俺は忘れない。この不平等な現実に対して「一律に同じルールでトークンを配る(平等)」のは、行政によるただの「格差の肯定」であり、思考停止です。
  2. 「公平」こそが地域全体の利益(公共善)になる
    寝たきりの人や困窮者に厚くトークンを配る(公平)ことは、結果として「草むしり」などの仕事(就業保証🔗)を生み出し、地域全体の治安を維持し、市民税の回収(信用創造)へと繋がります。つまり、弱者への公平な配分は、巡り巡って地域全体の「平等な利益」として全員に還ってくるのです。
  3. 学級会や町内会で「公平」の感覚を育てる
    だからこそ、以前もこのブログで取り上げた「1年かけて全員一致を目指す学級会や町内会」が決定的に重要になる。多数決(表面的な平等)を排除し、1人の困っている人の声を全員で聴くエクササイズを繰り返すことで、子どもたちや住民は「誰にどれだけのケア(踏み台)が必要か」を判断できる「公平のマナー」を身体に染み込ませていくことになるだろう。こんな地道な取り組みこそが、不可逆的に社会を変容させるんだ。

よし、ここで一発ジョン・ロールズ🔗の『正義論🔗』における「格差原理(Difference Principle)」をお見舞いしよう!これで経済学から人類学、挙句の果てには政治哲学の金字塔まで、完璧にピースとして嵌めこんだぜ!

ジョン・ロールズ🔗は「社会に不平等(富や機会の偏り)が存在することが許されるのは、それが最も不遇な人々(社会的弱者)の状況を最大に改善することに役立つ場合のみである」と断言した。

行政や政治家が「弱者にだけ配るのは不平等だ」と騒ぐのは、このジョン・ロールズ🔗の言う「正義」を全く理解していない、ただの浅薄な平等論に過ぎないんだ。勉強不足だぜ。

俺が構想しているこの「ケアトークン」のシステムは、このジョン・ロールズ🔗の格差原理をそのまま地域社会の経済システムとして具現化することを目指すものなんだ。

ロールズの「格差原理」が証明するケアトークンの正当性

  1. 「無知のヴェール」から導かれる必然のシステム
    ロールズは、自分が社会のどの立場(金持ちか、貧乏人か、健常者か、寝たきりの高齢者か)になるか分からない状態(無知のヴェール)でルールを決めるなら、人間は必ず「自分が最悪の立場になったとき、一番救われるルール」を選ぶと論じた。まさに、資産のない氷河期世代のギグワーカーや、寝たきりの高齢者からトークンを優先配分するべきだという俺の構想するこの制度設計は、人間が理性的に選ぶべき「究極の正義のシステム」そのものであるべきだ。
  2. 弱者への配分が、強者の「存在意義」を生む
    技術を持つブリコラージュ🔗の天才やお金持ち(強者)にトークンが集まる不平等が起きても、それが「市民税の支払い」のために弱者からトークンを分けてもらう(=弱者をケアする)インセンティブになるのであれば、その不平等はロールズ的に「正当化」され得るだろう。強者の能力が、弱者を支えるために強制的に駆動される仕組みになっているからだ。
  3. 「正義」と「MMT・ゲゼル通貨」の完全な融合
    • ロールズの正義(最も不遇な人を最優先する)
    • MMTの信用創造(市税を支払えるルールで通貨の価値を担保する)
    • ゲゼルの減価(使わないと半減・滅却させて貯め込みを禁止する)

これらがガッチリと噛み合うことで、ただのボランティアでも、ただの市場経済でもない、「正義がそのまま経済として流通する街(コモンズ)」が完成するって寸法だ。


「なかなか変わらない」現実を、足元からリライトする

グレーバーの労働論あるいはMMTの金融論に飽き足らず、このロールズの「格差原理」という正義の哲学まで味方につけたケアトークン構想。上からの改革は絶望的でも、これだけ冷徹な経済・哲学のロジックで武装された「足元からの信用創造」なら、行政の頭の固い人たちを論破し、巻き込んでいくための最強の武器(ホワイトペーパー)になることも夢じゃないだろうと信じたい。まぁ、現実の壁はクソ分厚だろうがね、そんなのは百も承知だ。けど、誰もかれも構想すらしなかったら、何も変わらない。違うかい?

さて、また今日もまとめてみるかな。

4回(通常6月、8月、10月、翌年1月)やってくる市民税・県民税の「納期(支払期限)」のタイミングに合わせて、トークンの価値が滅却するゲゼル効果が発動する。

この2つのスケジュールをガチッと連動させることで、システムとしての実効性と、地域社会にかかる「ドライブ(流動性の強制)」が、悪魔的なまでに美しく完成しているだろう。

そうすると何が起こるか、君には想像つくかい?

1. 納期直前に起きる「カインドネスのハイパー大爆発」

手元にトークンをずっとキープしていると、税金の納期が来た瞬間に価値が強制的に滅却されてしまう事になる。
だから、納期が近づくにつれて、地域住民は「やばッ!このままだと、また市県民税の納期がやってくる!地域に流通しているはずのトークンの価値がなくなっちまうぞ。早く誰かの困りごとを少しでも多く解決してトークンをゲットするぜ!」とか、「せっかく頑張って手に入れたトークン、このまま税金としてさっさと市役所に納めなきゃ!」と猛烈に焦り始めることになるだろう。
結果として、年4回の納期の直前には、地域の中で「草むしり」「子守り」「ゴミ出し」「スマホの相談」といったケア労働の流通スピードが、文字通りハイパー大爆発(超爆速回転)することになるはずだ。こいつは見ものだな。地域経済の血流がドクドク脈打ってるぜ。

2. 「貯め込み(ガチホ)」を構造的に去なす、美しいタイマー

ビットコインのように「いつか価値が上がるかも」とガチホすることが、この年4回のタイマーによって完全に不可能になるんだよね。
富(トークン)が1箇所に留まり続けることができないため、ブリコラージュ🔗の天才やアピール上手な人のところに一時的にトークンが集中しても、納期のタイミングで強制的に社会全体へと流動化(あるいは市役所へ還流)させられるわけだ。

地方税の納税という限定された形でも、トマ・ピケティ🔗が求めた「富の集中蓄積の防止」が、テクノロジーや官僚の監視に頼らずとも、「時間の経過」だけで自動的に達成されるクリーンな仕組みじゃないか?

3. 行政にとっても「納税率が跳ね上がる」最高のインセンティブ

行政(俺の暮らす一宮市や愛知県)の徴収課にとっても、これは最高にありがたいシステムなんじゃないかな。
なんせ市民税を滞納しがちだった低所得層やギグワーカー、シングルマザーたちが、手元のトークンが滅却してしまう前に「これで税金を払ってしまおう」と、納期通りに自発的にどんどん納税(トークンでの支払い)にやってくるからだ。

円の滞納処理に追われていたお役所のブルシット・ジョブ🔗(無駄な事務作業)が一掃され、地域福祉のセーフティネットが勝手に強固になっていきます。


MMTとゲゼルが、日本の日常(年4回の通知書)と融合した

皆様のご家庭のポストに漏れなく届く生々しい「市民税の納税通知書(年4回)」という誰もが知っている日本の日常に、クナップ🔗租税貨幣論🔗(とその進化系であるMMT🔗)と、ゲゼルの減価する貨幣の思想が、理念としてはまとまったかな。

思想、哲学、人類学、最先端の金融理論、そして日本のリアルな税制のスケジュールまでがこのトークンのフレームワークの肉体となったわけだ。

さて、次の問題は、本当はこれ、デジタルでお手軽にやれるといいんだけど、そうするとデジタルやスマートフォンの扱いに疎い、お年寄りとか子供とか、そもそもスマートフォンすら持てない生活のひっ迫した人たちを、完全に排除しちゃうことになっちゃうんだよね。あるいはスマートフォンを持っていても、契約を切られて近所のWiFiスポットでしか使えないという人もいるかもしれない。

けど、そういう人たちこそ、本当に助けを必要としている人たちなんだ。ここは考えどころだぞ。

考えすぎッてことはないはずだ。最悪の事態のさらに先を考えるのが、システムの構築には必要なんだ。

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